若者に外に出るな、といっても、おとなしく引きこもるわけもありません。だけど、ここでどう過ごすかで、一生が決まる人もいるかもしれません。チャンスに変えましょう。こんな本をおすすめします。
世界を旅して回りたい、というのは誰もが思うもの。とくに家にいろ、といわれる今はなおさらのこと。ならば、とお勧めなのはこの本、九里德泰さんの若い頃の冒険談、「人力地球縦断」、山と渓谷社が1994年に出版した本、それとその完結編、「人力地球縦断 中南米編」です。こちらは5年後に出版されました。
冒険譚は数多いですが、この本は別格。著者は、現在は大学で環境デザイン学を教える先生ですが、大学生だった頃に、北極圏から南に、自転車などで南アメリカの最南端に向かうという、無謀な冒険をはじめました。
その卓越したサバイバル能力、人とのコミュニケーション能力はもとよりも、なによりも驚いたのは文才。とても自然に、わかりやすく語ることができる能力。これは天賦の才で、努力して得られるものではありません(痛感してます)。この本は、当時、随分話題になりました。だけど、今、アマゾンで見ると、とくに後半の本は、ほとんど語られることも無く、寂しい状態。埋もれた良著です。特に、パタゴニアを渡る、辛く暗い格闘の日々、そしてその中で語られる同行者である奥さんのさりげない愛情。COVID19があってもこの世界は素晴らしい、そう思わせるものがあります。
パタゴニア、という言葉の響きは好きです。かつて、椎名誠にも、同名の旅行記がありました。彼にしては珍しく、暗いトーンの異色の紀行記ですが、やはり、パタゴニアはこの地の果ての国、絶えることなく強い風の吹く、雨もやむことのない世界のイメージなのでしょう。ブルース・チャトウィンという、かなう限り自由奔放な人生を謳歌した英国人によって描れた同名の小説(のようなもの)があります。これは、池澤夏樹の個人世界文学全集で読むことができます。
このようにはじまります。
「祖母の家の食堂にガラス張りの飾り棚があった。飾り棚の中には一片の皮があった。それはほんの小さな切れ端で、ぶ厚くごわごわしており、赤茶色の堅い毛がくっついていた。皮には錆びたピンでカードが留めてあった。カードには色あせた黒インクで何か書いてあったが、それを読むには私は幼すぎた。
「あれなあに?」
「ブリンドサウルスの皮よ」
母は先史時代の動物の名前をふたつ知っていた。ブロントサウルスとマンモスだ。それ我慢の酢の物ではないことを、彼女は知っていた。マンモスはシベリアにいたのだから。
・・・・・・」
私はここを読んで、読むことにしました。
「このブロントサウルスは世界の果て、南米の一地方、パタゴニアに棲んでいた。何千年も前、氷河に落ちて青白い氷に閉じ込められていたのが、そのまま山を下り、完璧な状態でふもとまでたどり着いたのだ。ブロントサウルスはここで、祖母のいとこ、船乗りのチャーリー・ミルワードに発見された。
チャーリー・ミルワードは商船の船長だった。彼の船はマゼラン海峡の入り口で沈没する。生き延びたチャーリーは近くのプンタアレナスに落ち着き、そこで船の修理工場を営んだ。・・・・」
いつまでも引用していたいくらい。繁華街にたむろしてないで、こんな世界の中を彷徨ってみましょう。
2020年3月24日火曜日
2020年3月11日水曜日
ファミリー・ライフ
この何とも読む気を失せさせるようなタイトルの小説は、インド出身のアメリカ在住作家アキール・シャルマの、自らが世に出るまでのことを描いた物語です。インドからアメリカに来て、劣等感にさいなまれながらも、一家のスターであった兄が事故に遭ってほぼ植物状態になり、その介護の日々がこの小説の中心になります。
その重苦しい日常の中で、ほとんど読んだこともなかった小説の世界に、ヘミングウェイをひたすら読み込むことで入っていく「僕」。あまり読むつもりもなく、ページをめくっていたら、いつのまにか終わってました。あんまりうまくないなあ、と思いつつも、なにか読み進めさせるものはありました。切実さ、でしょうか。
なんだかぎこちないので、小説も書いたことのない人が自分の過去を振り返って書いた本かと持ったら、いくつも賞を受けた作家がはじめて自分の家族と生い立ちを苦労して書いた物語でした。ただ、そういわれれば、それもまたわかる気もします。書くのが辛いことを時間をかけているので、どうしても言葉は撥ねず、のがれられないものがあるのかもしれません。
だけど、これは、読むべき小説なのです。決して読みにくいものではなく、表現も平易でストーリーも平坦で、難しいところもないし。惜しむらくは、最後の、大学を出てからが、なぜにあんなに駆け足で書いてあるのかわかりません。そこを除けば、優れた作品です。
いろんな意味で、記憶に残る作品となりました。いかにも新潮社のクレストブックシリーズらしい一品です。学校は休校にはなるし、引きこもりが推奨される中、とくに若者は暇をもてあましていますが、今こそ、本を読むチャンス。こういうときの過ごし方で人生変わるかもしれません。
その重苦しい日常の中で、ほとんど読んだこともなかった小説の世界に、ヘミングウェイをひたすら読み込むことで入っていく「僕」。あまり読むつもりもなく、ページをめくっていたら、いつのまにか終わってました。あんまりうまくないなあ、と思いつつも、なにか読み進めさせるものはありました。切実さ、でしょうか。
なんだかぎこちないので、小説も書いたことのない人が自分の過去を振り返って書いた本かと持ったら、いくつも賞を受けた作家がはじめて自分の家族と生い立ちを苦労して書いた物語でした。ただ、そういわれれば、それもまたわかる気もします。書くのが辛いことを時間をかけているので、どうしても言葉は撥ねず、のがれられないものがあるのかもしれません。
だけど、これは、読むべき小説なのです。決して読みにくいものではなく、表現も平易でストーリーも平坦で、難しいところもないし。惜しむらくは、最後の、大学を出てからが、なぜにあんなに駆け足で書いてあるのかわかりません。そこを除けば、優れた作品です。
いろんな意味で、記憶に残る作品となりました。いかにも新潮社のクレストブックシリーズらしい一品です。学校は休校にはなるし、引きこもりが推奨される中、とくに若者は暇をもてあましていますが、今こそ、本を読むチャンス。こういうときの過ごし方で人生変わるかもしれません。
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