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2020年9月11日金曜日

シチュアシオン

「シチュアシオン」は、サルトルによる短い評論、小文集。人文書院が出してたサルトル全集の中にIからXまであります。これが唯一の邦訳かな。このIVを高校生の頃買って、ほとんど読みもしないまま、本棚に眠らせてましたが、半世紀経ってKobo Formaに収めていました。夜中、寝室の外で老ネコの遠吠えに起こされて眠れなくなり、がさごそと(比喩)Formaの中を漁っていて、ふとそのことを思い出しました。Formaを買ったのは7月でしたが、すでに100冊以上入ってます。とはいっても、さすがにそれだけこの2ヶ月で本を買ったわけではなく、キンドルにだけ入れてた本を移動したからです。

このIVを読んでみるとなかなか面白い。それで古本屋でIIIを探しだして自炊してFormaの中に。これは主に第二次世界大戦終結の頃の記録、どちらかというとエッセイです。かなり興味深い部分がいくつもあります。

 旗を掲げて祝えとは言われていたものの、人々はそうはしなかったし、大戦は、無関心と懊悩とのなかで終焉を告げた。

フランス人が旗あげて祝うわけないしなと思いつつ、

 日毎の生活で変わったところは何一つなかった。ラジオがいくらワンワン云っても、新聞が肉太の大文字でいくらかき立てても、我々を十分に納得させるわけにはゆかなかった。我々としては、できれば、なにか奇跡のようなもの、空に何かしるしのようなものでも現れてきて、平和が森羅万象の中にはっきりと刻み込まれたことを証明してくれて欲しかった。・・。人々は、橋も上を、街のなかを、慢性になった飢えと不安とで外のことは考えられずに、生気のない目をして、通っていた。空っぽの腹を抱えて、この大戦の終焉を、どういうふうにしてよろこんだらいいものか。

そして、日本に関する記述も。

 日本では内乱が起きる恐れがあるし、日本軍は満州で反撃に出るかもしれぬし、天皇とその将軍たちは近い将来報復すると言ってるし、シナは内乱の一歩手前に来ている。

そんな話があったんだ。日本国内での人々の捉え方と、おそらく大分違うのでしょう。私はあんまりこんな話は聞かなかったけど、確かに、海外からすると、そういう話も通りやすいかもしれません。

この本の第二部には、アメリカに滞在した頃のフィガロ紙に発表した記事がまとめられてます。はじめて接するアメリカ、NYについてのナイーブな感想が初々しい限り。こんなご婦人方の協会のことが書いてあります。

 ある建物の18階で、私たちは「紅茶茶碗をかこんで」、数人の、銀髪の、あいそのいい、少々冷ややかで、男みたいに知的な、名流婦人たちに会った。・・・ この連盟は今日では2万6千人の会員がおり、各州に300の支部を持っている。500以上の新聞が、ここの資料を受け取っている。政治家はここの出版物を参考にしている。この連盟はしかも大衆に情報をあたえることは考えていない。つまり報道者たちに情報を提供するのだ。

外交政策協会、というそうです。こんなことがあったんだ。フランスではありえないこんな集団のことを考えて、サルトルは、アメリカ人が

いかに組織力とはげしいアメリカ化の力に従っているか

について、そしてこれが、

 どうあろうとも、それはフランスにおけるような、個人主義ではなくて、その根底にあるのは画一主義である。

と結論。さすがサルトル。眠れぬ夜も、こういう発見があるからいいのかもしれない。

この恍惚とした爺さん顔、こいつのおかげか。

2020年8月27日木曜日

スプートニクの恋人

夜中に目が覚めてkobo formaを取り出したものの、あいにくそのとき読んでたのがカポーティの「誕生日の子どもたち」で、つまらなくて断念したばかり。カポーティってこんなにつまんなかったっけ、次は何を読もうか、と考えつつ、眠りに落ちたところでした。Formaの中にはまだあまり本を入れてないのだけど、村上春樹のいくつかは読み直そうといれてました。では、と「ねじまき鳥クロニクル」を開いたものの、あんまりこれはそんなときに読むものじゃない。

ではと「スプートニクの恋人」を開きました。これはなにかとてもいい。1回目に読んだときも思いましたが、これは長編だけど、ねじまき鳥とは違って割とすんなり書けてさくっとできたもの、ではないかと。

不思議なくらい、こんな目がさえた夜中にはまります。その夜のあとも読み続けて数日で終了。

この小説、たぶん、キーとなるのは最後に出てくるこの部分。万引きした子、あろうことか学校の先生である「ぼく」が逢い引きを重ねている母親の子供であるにんじんくんを連絡を受けて引き取って喫茶店に入り、ひとことも話そうとしない彼を前にして、こんな話をします。

ひとりぼっちでいるというのは、雨降りの夕方に、大きな河の河口に立って、たくさんの水が海に流れ込んでいくのをいつまでも眺めているときのような気持ちだ。雨降りの夕方に、大きな河の河口に立って、水が海に流れ込んでいくのを眺めたことはある?

答えるわけもないにんじんに、こう続けます。

たくさんの河の水がたくさんの海の水と混じりあっていくのを見ているのが、どうしてこんなにさびしいのか、ぼくにはよくわからない。でも本当にそうなんだ。

妙に無駄な繰り返しの多いこのフレーズ、この物語の底辺に流れているのは、こんな感覚。

奇妙な、だけど実はとても大事だった女友達のすみれがギリシャで急に失踪してしまい、彼女を探して小さな島にまで、すみれが憧れを抱いている同室だった先輩、ミュウに会います。そこで彼女が語る、「泣こうとして泣けないでただ体を震わせている」すみれを抱き寄せたとき、感じたことは

さびしくて怯えて、誰かの温もりをほしがっているのだ。松の枝にしがみついている子猫のように。

こういう物語です。とくにいくつもの彼らしい気の効いた表現が秀逸です。たとえばこんなの。

ペテルスブルグ行きの列車がやってくる前に、年老いた踏み切り番が踏切をかたことと締めるみたいに。

そういえば、すみれは文章を書きます。いくらでも書くことができる、だけど、それは

ときどき、異なった趣味と疾病を有する何人かの頑固な婦人たちが一堂に会して、ろくすっぽくちもきかずにつくりあげたパッチワークみたい

なもので、ひとつも小説にはならない。そんなすみれに、「ぼく」はこんな中国の門の話をします。

人々は荷車を引いて古戦場に行き、そこにちらばったり埋もれたりしている白骨を集めれるだけ集めてきた。歴史のある国だから古戦場には不自由しない。そして待ちの入り口に、それらの骨を塗り込んだとても大きな門を作った。慰霊をすることによって、死んだ戦士たちが自分たちの街を守ってくれるように望んだからだ。でもね、それだけじゃ足りないんだ。門が出来上がると、彼らは生きている犬を何匹か連れてきて、その喉を短剣で切った。そしてそのまだ暖かい血を門にかけた。ひからびた骨と新しい血が混じりあい、そこではじめて古い魂は呪術的な力を身につけることになる。そう考えたんだ。」
すみれは黙って話の続きを待っていた。
「小説を書くのも、それに似ている。骨をいっぱいに集めてきてどんな立派な門を作っても、それだけでは生きた小説にはならない。物語というのはある意味では、この世のものではないんだ。本当の物語はこっち側とあっち側を結びつけるための、呪術的な洗礼が必要とされる」
「つまり、わたしもどこかから自前の犬を一匹見つけてこなくちゃいけない、ということ?」
ぼくはうなずいた。
「そして温かい血が流されなくてはならない」

これが生きた物語、どこかで犬が連れてこられて温かい血が流されたのかもしれません。さくっとできたように見える、と勝手なことを読者はいうわけですが。

物語というのは不思議なものです。特に村上春樹のを読むと、そのことをいつも考えます。夜中に目が覚めるのは、そんなに悪いことじゃないかもしれない。


老ネコでも追加しておこう。

2020年8月22日土曜日

Tolånga

Tolånga は、スウェーデン南部の村。14世紀、猛威を振るった黒死病、ペストによって人々が死に絶え、滅びかけた村のなかで、二人の異常に背の高い男性が生き残り、この村を再建したという伝説があるとか。いわゆる巨人伝説の一つなのでしょうか。

この地方に伝わるポルカを元にした曲を 232 Strängar という、スウェーデンのピアニストとバイオリニストの女性デュオが演奏してます。
https://www.youtube.com/watch?v=i-3ldKxA1kI

エストニアのラジオ局、KlassikaradioにFolgialbumという番組があり、外国の音楽を紹介しているので、よく聞いてますが、ここで彼女らの2つめのアルバム、Pillikud - Metsaunelm(葦/森の夢)が紹介されてました。何気なく聞いてましたが、次第に聞き惚れてしまいました。

これは5月に登録されていて、画像は家でポルカを踊るいろんな人たちです。おうちで楽しく、という、この頃よく作られた動画で、これを見てるとなんだか誰かが犬を抱いてるシーンを思い出すのであんまりぞっとしないところもあるのですが、この画像の素直さは、そんなことを払拭させてくれます。

人は、すべて生き物と同じく、自らの生存を脅かす他の生き物とずっと闘ってきました。しばらく忘れていましたが、我々人間もその宿命から逃れられません。黒死病が荒れ狂い、ヨーロッパの多くの街を滅ぼしていた時代、人々の恐怖を思います。ものを燃やして暖をとるしかない、水で流してくれるようなトイレもなかった時代。病原体がなんなのかもわからないまま、周りの人たちが次々に倒れていく、その恐ろしさがどれほどのものだったか。

そして、その恐怖から生き延びて、なんとか封じ込めてしのごうとすることを長く続けてきた人々の努力。この二人の音楽はそういうことを思い出させてくれて、心震えるものがあります。

2020年8月15日土曜日

黒ヶ丘の上で

これは、第二次世界大戦前からインベーダーゲームが登場する時代まで、ウェールズの田舎の丘の上の農場で生涯を過ごし、心の深いところでつながっていた双子の兄弟の物語。「パタゴニア」という魅惑的な紀行記を書いたブルース・チャトウィンによる三作目です。

「パタゴニア」の印象があまりに強いためでしょうが、あんまり面白くないかも、と思いつつも、なにか惹かれるものがあり、日課的に最後まで読んでました。

たとえば、双子のもう一人の兄弟だった姉が、家を飛び出してアメリカに渡り、消息がなくなったあと、その娘、つまり双子の姪がその息子を連れて、自らの故郷を探して貧困の中を黒ヶ丘にたどり着く。そこでクリスマスの日に、その二人に会わせるために息子のケヴィンを連れてきた教会の中の、何気ない描写。

ホールの中は震えるほど寒かった。パラフィンストーブが2台しかないので、後列のベンチまではとても暖まりきらなかった。すきま風が扉の下からヒューヒュー吹き込み、床板は消毒剤の臭いがした。観衆はマフラーとコートにくるまって腰掛けていた。アフリカでの伝道を終えたばかりだという説教者が会衆ひとりひとりに握手をして回った。

ごくありきたりの光景、チャトウィンが好きなのはこんなところ。パタゴニアでもそうでした。だからなんなのか、そもそもこの物語は一体何の意味があるの、と思いながらも、だけど読まざるをえない、そんな小説。

娘を追い出したことを父親のエイモスは深く後悔していて、事あるごとに妻のメアリーに爆発します。この二人の関係は微妙で、読んでいると一体メアリーはエイモスを愛していたのかどうかもわからなくなります。このあたりのわからなさ、人の心の漂う感じも、この物語の不思議な魅力の一つなのかもしれません。つまり、面白いと思ってるわけですが。

娘を思って悲嘆に暮れるエイモス。

おびえた子供が人形にすがりつくように、彼はメアリーにすがりついた。だがメアリーは夫の問いかけにどう答えたらいいのかわからなかった。

チャトウィンの人生はその輝く才能をほしいままにしたように見えます。でも、彼は50を迎えることなく生涯を閉じ、残された作品はあまり多くありません。最初に発表したパタゴニアがあまりに素晴らしく、これがもしかすると、実は重荷だったのかもしれない。他のも読んでみようかな。

2020年8月3日月曜日

サラの鍵

フランスの作家、タチアナ・ド・ロネによる「サラの鍵」、2006年に書かれた小説です。読むのが辛い、だけど夜更かしして読まざるをえない、久々に巡り会ったそんな本でした。但しこれは前半の話。二つの時間を交互に描くスタイルが終了して、一つの今の時間になる後半では、次第に緊張感も薄れ、割とありがちな話になって、最後は流し読みでした。

この前半の緊迫感はすさまじく、村上春樹のねじまき鳥クロニクルの、あの辛くて、おぞましい、しかし、目を背けることの許されない厳しさを思い出しました。驚くべき史実です。1942年、ナチスの傀儡政権が誕生したフランスで起こった13152人のユダヤ人の虐殺、しかもこれは自分の国内で行ったのではなく、屋内競技場に集めてそこからアウシュビッツに送ったという卑劣さ。わずかに生き残った子どもたち、ヴェルディヴの子供、として、1995年になってシラク大統領の演説によって、戦後長い時間が経過した後になって全容が明らかになったとか。

まったく知らなかった。フランス人である自らの責任を追求する気持ちもあっての厳しさなのでしょう。そういう点でも、ねじまき鳥クロニクルによく似ています。毎日顔を合わせて挨拶をしていた警官が、競技場の監視員になってしまう、非情。ですが、これが唯一の救いをもたらし、だけど、そこから描かれる残酷な結末。

どこまでが史実なのかは知りません。だけど、これは基本的に、本当にフランスで起きた、おそらくフランス史上で最悪の犯罪。あれだけ個人主義の強い、画一化を嫌う民族の国でこんなことが起こったことにつよい衝撃を受けました。

ただ、この作家は、村上春樹とは違って、基本はジャーナリストなのです。史実から起こした前半のレアリズムはものすごい。これはノンフィクションに近い書き方。これにはどこかエミール・ゾラを思い出しました。だけど、それが、おそらく創作だけの後半の部分になると、村上春樹のように想像力がさらに羽ばたく、というわけにはいきません。これは残念。

なぜひとはそうなってしまうのか。そして、なぜそれをなかったことにしてしまうのか。我々は、いつもそのことをどんなときでも問い続けないといけないのです。

2020年7月23日木曜日

「感受体のおどり」 ふたたび

「さざんかが咲いていた。花に名があるということになぐさむのをかんじた。伸びつのる脚に海は近く、晴れておだやかな波おとに白とべにのしぼりが優しかった。」

以前のブログで黒田夏子の「感受体のおどり」について書いたら、なぜかそれへのアクセスがずっと地味に続き、今だにアクセスされつづけてます。前のブログの大部分は公開終了にしたのですが、これは残しました。しかし、なんでこんなにマイナーな話にアクセスがいつまでも来るのか、感想文の対象にするような本でもないし、レポートにぱくられてるのでしょうか。それとも、学生さんの卒論のネタ調べ?

なんでもいいのです。この、日本の文学史上で希有な輝きを見せる、ほとんど奇跡のような作品が、ものすごい出版物の中でも埋もれることなく、人の記憶に残るのならば、それはうれしいこと。冒頭は、「うしろからの足おとにーーー」と題された章の第42番の頭の部分です。

まったくなんていう丁寧な心の記述!こんなに簡単にブログで書いてしまって良いのかとも思うほどの文章です。書いてますが。

冒頭に続く部分、

「 ずっと小さかったある宵の食卓で、だいこんの切りかたにいちょうだのせんろっぽんだのと名があるのをおとなたちの会話に聞き知って、ひそかになぐさんだのをおもいだした。だいこんという名だけでなく、きりかたまでがこまごまと名づけられていることの安らぎが、朱ぬりのわんのへりの温かな光沢とともにおりにふれてよみがえった。うらがえせば、事物があまりにも捉えどころなく過ぎていくという不安な悲しみに耐えなければといつも身がまえていたので、どんなわずかなぶぶんでもことばによっておぼえたりつたえたりできる領域がひろがるとなぐさんだのだ。」

この42番の前にはこんなところもあります。先生に連れられて絵を描きに海の見えるところにいったときの記憶から、

「捨ててしまったものは、野ふじのひとちぎりだけではなく、踏みしだいた草の匂いだけではなく、小とりやなかまたちのさざめきだけではなく、おちつけばかすかにつめたい初秋の風だけではなく、みえないうしろではなくよこではなくて上ではなく、見えている至近のものでもあるのだった。それでいていままでのならわしどうりに描いているほうがやがてまわってくる教員をやりすごすには最もらくなのだと私はもうわかっていたし、なかまたちが、組でゆびおりの描き手である嵐犬もふくめてやはりそうしているだろうともよくわかっていた。しかしこんなふうにほとんどなにもかもを切り捨ててしまった世界のかけらを模すという作業を、おとなたちが、みわたされた方法の体系の順当な過程として意図してしつらえているのかどうかは判じあぐねた。・・・・ (中略)
 しきりに暗いとおもった。まだ暗いと、おもいもかけず暗かったと思った。私にとって絵はそれほど重いいみをもたないもののようでもあるが、ことばで書く作業でもほとんどなにもかもを切り捨ててしまっていること、明確な根拠や選択からではなくてただそうしてでもとりかからなければはじめられないためのまにあわせに種族のならわしを借りただけのきわめてあいまいな出発であることを、野ふじの葉が、絵ふでをうごかしているじぶんの手が知らせてよこした。・・・」

おおよそ、日本語の極みです。前も書きましたが、これはほとんど源氏物語。黒田夏子が生涯をかけてひたすらに続けたこの作業の根底には、おそらく42番の上の引用に続く、下に記された思いがあるのでしょう。

「 物に名があるとはじめて知った日の記憶はない。ことばをもつまでのあいだ、ことばのない不安があったのかどうかの記憶もない。しかしもちはじめるや、たりなさは重くつもった。ことばにしないことは喪うことだとかんじられてそそりたてられるようにじれた。いのちがさかっていたので、無は小さな寂しみのつぶてを投げかえしてくるだけだったが、それは比喩ではなく、死そのものののかけらだったろう。」

無は小さな寂しみのつぶてを投げかえしてくるだけだった、子供の頃の記憶。たぐりよせる黒田夏子の丹念な作業は、なにか、とても大切なのです。

2020年7月10日金曜日

Kobo Forma を買ったという話

結局、買ったのは Kobo Forma にしました。これはないと初めは思ったのですが、先に書いた中国の7.8インチeInkリーダーは、ノートがついてる分、重くなってます。この重さは結構大事なポイントで、ほとんど夜中に寝っ転がって読むので、数十グラムでも大きい。そもそもノートは、LikebookのMimasでもついてますがまったく使いません。メモは紙のほうが良い。

また中国の2つのはアンドロイドでGoogle playが使えていろんなリーダーアプリが使えるという話ですが、Mimasでやってみると、ろくなリーダーはなく、結局Mimas本体のリーダーを使ってます。またブラウザやメールを何もこれでやる必要はないわけで。

もう一つ重要なだったのは、8インチである事。つまり0.2インチだけ大きい。ほんのちょっとでも大きい方が良い。それにマニュアルがダウンロードできたので、操作の確認ができました。

というわけで注文したところ、すぐに来ました。まず、起動すると楽天にログインしないと先に進めません。やりたくないけど、これを一度やれば、あとは、wifiを切れば良いだけです。早速、PCにつないでスキャンした自炊本を入れて読んでみました。操作はKobo aura oneと同じで、本はChainLPで.cbzにしたものを、Formaのストレージのルートにおきます。すると、ライブラリの中に入る仕組み。

左がAura oneで右がForma。一見、Aura oneの方が長く見えますが、これはベゼルが長いだけで、表示画面ではAura oneが15.2cmで、Formaは15.6cmと、4mm長い。特徴的なのがページ送りボタンですが、左側においてます。この左のベゼルの部分は滑らないゴムのような素材で、持ちやすい。このボタン自体は使わず、Aura oneと同じ画面タップを使うように設定しましたが、この左のベゼルの部分は持ちやすく、ボタン使わなくてもなかなかいい感じ。

本を読むことにしか使わないわけですが、操作自体は同じでページ送りも同じくらいの速さかな。大事なのは軽さで、197gと、230gのaura oneよりも33g軽い。わずかですが、長い時間になると、それなりの差になります。

唯一の難点は、電源ボタン。こんなにしなくてもいいだろうにというほど重くて押したかどうかがはっきりしない。ランプを見ないとわからないという。そういえばAura oneもそうでしたが、輪をかけて使いにくいボタン。鞄の中に入れて間違ってオンになることを避けようという意図はわかりますが、普通はカバーをつけるだろうからそんなの必要ないのに。

と、大きな喜びもない変わりに、ちょっと進化と、新たな書庫ができて、ちょっとうれしい。実質28G入れられるので、再び1000冊は入りそうです。

追記
Aura oneでは禁則文字があり、たとえば、ユダヤ人、というのをファイル名にできませんでした。これが、Formaでは修正されたようです。さすがに。
新たにKoboを買ったら500円割引が楽天でついたので、これではじめて楽天で電子ブックを買いましたが、キンドルと同じでやはり読みにくいし、ぱっとしない。写真はちゃんとしたレイアウトにならないし。これは以前からちっとも改善されない。やはり物理本を買って、自炊してChainLPでBoldにして表示させないとダメです。おまけに、この電子ブック、画面タッチでページめくりをする設定がページの前と後ろが逆になっているという始末。ページ送りボタンを使うしかないというお粗末さ。あんまり本気で作ってないのかな。

2020年7月5日日曜日

I've Made Up My Mind to Give Myself to You

ふと、週末になると、Bob Dylanの新しいアルバムの中にある、I've Made Up My Mind to Give Myself to You を聞きたくなってYouTubeを開いてます。

このアルバム、Rough And Rowdy Waysは、あまりに異例づくしで、もはや誰も言いませんが、もうすぐ80になるミュージシャンが新作アルバムを発表して全英などでのアルバムチャート第一位を獲得ということ自体、調べるまでもなくはじめてでしょう。そもそもノーベル文学賞をもらって新作アルバムを出すなんて。何もかも、すでに伝説です。

だけど、何よりも驚きなのは、この想像力。個人的にはこれは1970年以降に発表したアルバムの中で最高のものに思えます。1970年以降も優れた曲はちらほらと出してきていましたが、ここまで、すんなりほれぼれできるものを出してくれるなんて思いもしませんでした。

とくにこの、I've Made Up My Mind to Give Myself to You、印象的な旋律の中で、今回新たに見つけた声で静かに歌われるこの美しい曲。この詩は彼の詩とは思えないくらいとてもやさしく、わかりやすく、いつまでも残ります。

たまに、かれはものすごく美しいやさしい曲も歌ってきました。古くは、corrina corrina, Spanish is the loving tongue等々。これらは、Love minus zeo/no limit,
sad-eyed lady of the lawland等の謎めいた曲、あるいはハリケーン、のような強いメッセージ性を持った曲などの中に隠れてほとんど取り上げられることはないですが、実はとても叙情的で、なによりも好きな曲です。しばらくするとまた聞きたくなります。

この旋律、なんて美しい、だけどどこかで聞いたことがあるようなという気もしてましたが、YouTubeのコメントで誰かが書いててようやくわかりました。ホフマンの舟歌、オッフェンバッハの有名な歌曲です。気がつかなかった。彼はこれを見事に新しい歌にしてます。ちょうど、ノルウェーの森がFourth time aroundになったように、指摘されないとわかりません。

I'm sittin' on my terrace, lost in the stars
Listening to the sounds of the sad guitars
Been thinking it all over and I've thought it all through

・・・・・・

I traveled a long road of despair
I met no other traveler there
・・・・・・

なんて素直な。なんのてらいもなく、このように歌えるようになるには、とても長く続けなければならなかったのかもしれません。このyouとは、ほとんど、神のことです。ただ、神への愛が語られるというよりは、この出だしにあるように、夜、テラスに出て星を眺めていて、これまでの人生を考えている、そんな中で神に寄り添う気持ちを、そのまま歌ったものです。こんなに簡単にまとめることのできる彼の歌なんて、そうありません。ただ、神とは限らないのかもしれない。この辺がやはりDylan。

無宗教者としては、神のことを歌われてもぴんとこないことが多いのですが、こういう宗教的な気持ちならよくわかります。

Murder most foulが、彼の人生ではじめて全米ヒットチャート首位になったことに気をよくして、ぐっとやる気が出て創作意欲が高まったのでしょう。わかりやすいといえばそうですが、performaerというのはそうやって創作の力を得ます。彼はずっとそうやって歌ってきました。ほんとに、ここに来て彼の素晴らしい新曲を聴けるとは思いませんでした。感謝しかありません。

2020年6月19日金曜日

幸せな日々は長く続かない

これではなんだかわかりませんが、ものすごい希有な瞬間のドラレコの画像です。目の前の右と左の車のナンバープレートに注目。どれくらいの確率で起きるかはわかりませんが、人生に1度あるかどうかということはほぼ確実。
 信号で停まったときに右前の車を見ると、11-11、珍しいなと思って、なにげなく左を見ると、これも同じ11-11。だから何だというのはともかく、空を見ると太陽が2つになってるかもしれないと思ったくらい。めまいがしました。


さて。
幸せな日々は長く続きません。ボブディラン自伝、読み終えてしまいました。半分超えてからはゆっくりゆっくり読んでたのですが。驚くべき作品でした。なるほど、ノーベル文学賞だ。

先に書いたように、レコーディングに入る前のことが書かれていたので、次は奇跡のような作品が生まれる話だろうと思いきや、そんなことは触れられてもおらず。むしろ描かれていたのは、そのあとに訪れた辛い長い日々のこと。

ウッドストックに見つけた美しい静かな住まい、新妻のSaraとの間に生まれた子どもたち、その静かな幸せな日々はつかの間で、バイク事故をいいことに隠匿していたところ、激しい追いかけがはじまり、住んでる家の周りをうろつかれ「巡礼され」、デモ隊が家の前を往復して世代の良心としての義務を果たせと要求され、屋根を登られ、食料庫が荒らされたりする恐怖、そんな中で逃れるように家族と引っ越しを繰り返す、
いつも玄関でワタリガラスが不吉な声を上げていた
そんな辛い日々のことでした。そして、あの奇跡のような作品はもはや遠く、引退のことを考え、もう終わってしまった、という想いを振り払うことができなくなったことが、なんの覆いもなく描かれます。

彼の望んだのは、Saraと3人の子どもたちとの静かな生活。珍しい写真がありました。
https://images.genius.com/cdb98221e4c2586713c629fa02b90795.500x511x1.jpg

たしか80年代だったと思いますが、トム・ペティと18ヶ月に及ぶツアー、イスラエルなど世界を回るツアーの中、彼の書いたのは

これが最後のツアーになるだろう。わたしはもう、やる気をなくしていた。当初感じていたものは、しぼんで消えてしまっていた。トムは絶好調で、私はどん底にいた。彼との差を埋められなかった。何もかもが砕け散った。自作の曲が遠いものになり、私は曲が持つ本質的な力を刺激して生かす技術を失い、上っ面をなぞることしかできなくなってしまった。もう私の時代は終わった。心の中でうつろな声がして、引退してテントをたたむのが待ち遠しかった。
・・・・・
わたしはいままでに多数の曲を作ってレコードにしていたが、ライヴで歌う曲はあまり多くはなかった。たしか20曲程度だったと思う。それ以外の曲は、あまりに暗号めいていたりくらかったりして、わたしにはもう、それらの歌に豊かな創造性を与えて歌う能力がなかった。重たい腐肉の包みを運んでいるも同じだった。それらの歌がどこから生まれたのかがわからなかった。光は消え、マッチ棒は端まで燃え切った。私は形だけの歌と演奏をしていた。いくら努力しても、エンジンはかからなかった。

そしてトム・ペティのバンドのメンバーからはボブ・ディランの昔の曲の数々をリクエストされて、多くの曲をリハーサルしたがっていることに気づかされ、だけどそういう曲はほとんど自分がなぜ作ったかすらわからない、そんな感情に圧倒されてしまい、いたたまれなくなります。

自分が犯罪者のように思えて、その場にいたくなかった。すべてが間違いだったのかもしれない。どこか精神を病むものたちのための場所に行き、よく考える必要がある。

そして雨の中、もう戻らないつもりでスタジオを出て通りを歩いていたとき、年配のシンガーの歌うジャズバーに入ります。そこで、その彼の歌う、「うまれつき賦与された自然な力」が天啓のように彼の元に訪れて自分の歌を新しいやり方で取り戻す、そうやって、ツアーを続ける方法を見つけて、「自動操縦の船に乗っているように」コンサートを続けます。

それでもわたしは辞めるつもりでいた・・・・引退しようと思っていた。これからもツアーを続ける気はなかったし、その気持ちを変えようとも思わなかったーーーどちらにしても、私の音楽を聴きに来る人もたいしていないと思っていた。・・・・私の演奏は一種の演技でしかなく、手順に従って型どおりにやればいいだけの儀式は退屈だった。ペティとのコンサートでも、観客が射撃訓練場の人型の的に見えたことがある

なんとか、歌うための方法を見つけて続け、だけどまたそれが切れて、パニックに襲われる。そんな繰り返し。

ふと思う、昔のこと。

昔、コニーアイランドのビーチで寝そべっていたとき、砂の中からポータブルラジオを見つけたことがある。GE社製の自動充填式の美しいラジオーーー戦艦のようなデザインーだったが壊れていた。それを思い出して、この歌の冒頭に使ってもよかったかもしれない。しかしほかにもたくさんの壊れたものを、私は見てきた・・ボウル、真鍮製のランプ、つぼや瓶や水差し、建物、バス、歩道、木、風景。こうしたものが壊れると心が乱れる。世界中のすばらしいものを、わたしが大きな愛情を抱くものを思い出すのだ。それはひとつの場所ーーそこで夕刻を迎え夜を過ごす場所ーーである場合もある。こういう場所もやがては壊れて、もとにもどすことができなくなる。

レコーディングに向かう、ニューオーリンズでの幻想、

わたしは薄暮の中を歩いていた。空気は黒く濃厚で、それに酔ってしまいそうな感じがした。通りの角のコンクリートのでっぱりに、痩せた大きな猫がうずくまっていた。そばまでいって前で止まっても、動こうとしない。   ・・・中略・・・  ニューオーリンズで最初に目につくのは埋葬地ーーー墓地であり、その冷え冷えとした場所はニューオーリーンズにあるもっともすてきなもののひとつだ。そばを歩くときはできるだけ静かにし、死者の眠りを妨げないようにする。ギリシャ風の墓地、ローマ風の墓、石づくりの埋葬所ーーー特別注文の宮殿のような霊廟。密かに朽ちていくものたちの印やシンボル。罪を犯して死に、今は墓の中で生きる女と男の幽霊たち。ここでは過去は早々には終わらない。ひとは長い間死んでいられる。幽霊たちは光に向かって競争する。どこかに到達しようとする魂たちの激しい息づかいが聞こえてきそうだ。

この本は最後の章で、レコーディング前の話、ミネソタを出るまでの話に戻ります。母のこと、激しい衝撃を受けたウディ・ガスリーの歌との出会い、NYに出て西四番のアパートの狭く、息苦しい部屋で多くの時間を過ごしたスージーのこと。彼の歌がどうやってできてきたかは、この章によく書かれています。ある歌に出会ったときのこと、

この歌の原動力は何なのか、なぜこんなに効果的なのか。私はそれを知ろうとして、分析してみた。そしてこの歌では、すべてのものが最初からそこにあって見えているのに、それがわからないという事に気がついた。何もかもが大きな金具で壁に留めつけてあって明白だったが、各部分をまとめた全体を見るには、一歩後ろに下がって最後まで待たないといけない。

これが彼の歌の作り方。わかりにくく、だけど極めて正確で、いつも景色が残るのはこの方法の故。たとえば、前にも書いた、fourth time around。これは有名な「ノルウェーの森」の返歌のような曲という話は前に書きましたが、これもある物語の各シーンを切り取って歌ったものと思えばわかりやすいかもしれない。あるいは、たぶん、Sad Eyed Lady of the Lowlands、もそう。その世界をさまよい歩くことができる。

中学生の時に感じたことは、不思議なくらい間違っていなかった。たとえばNew Morningというアルバムは1970年に発表された2つのアルバムのうちのひとつ。その前がSelf portraitという、彼も述べてるあらゆるものを詰め込んだもので評判が悪かったそうですが(私はこれは大好き)、そのわずか4ヶ月後に発表されたもの。これはアコースティックな曲が主で、あのBob Dylanが帰ってきたと好評だったそうです。だけど、この自伝によると、じつはこれは元々マクリーシュという高名な(知りませんが)詩人の依頼により書いていた戯曲のための音楽で、結局、彼の期待と合わずに断念して、それらの曲をどんなもんだろうとまとめたアルバムだったらしい。 If dogs run free、こんな曲、と思ってましたが、やっぱりそう。

いつまでも引用を繰り返していたい、だけど、このあたりで。自伝は、3冊書くことを出版社と契約したらしいですが、彼が書くわけもなし。この本は、とてもかけがえのない本になりました。もしこれを読まなかったら。そんな人生は考えたくないくらい。また、個人的には、今読んだからこそ、よかった。これが2006年だと、この本の価値はわからなかったかもしれない。歳を取ってはじめてわかることもあります。