「シチュアシオン」は、サルトルによる短い評論、小文集。人文書院が出してたサルトル全集の中にIからXまであります。これが唯一の邦訳かな。このIVを高校生の頃買って、ほとんど読みもしないまま、本棚に眠らせてましたが、半世紀経ってKobo Formaに収めていました。夜中、寝室の外で老ネコの遠吠えに起こされて眠れなくなり、がさごそと(比喩)Formaの中を漁っていて、ふとそのことを思い出しました。Formaを買ったのは7月でしたが、すでに100冊以上入ってます。とはいっても、さすがにそれだけこの2ヶ月で本を買ったわけではなく、キンドルにだけ入れてた本を移動したからです。
このIVを読んでみるとなかなか面白い。それで古本屋でIIIを探しだして自炊してFormaの中に。これは主に第二次世界大戦終結の頃の記録、どちらかというとエッセイです。かなり興味深い部分がいくつもあります。
旗を掲げて祝えとは言われていたものの、人々はそうはしなかったし、大戦は、無関心と懊悩とのなかで終焉を告げた。
フランス人が旗あげて祝うわけないしなと思いつつ、
日毎の生活で変わったところは何一つなかった。ラジオがいくらワンワン云っても、新聞が肉太の大文字でいくらかき立てても、我々を十分に納得させるわけにはゆかなかった。我々としては、できれば、なにか奇跡のようなもの、空に何かしるしのようなものでも現れてきて、平和が森羅万象の中にはっきりと刻み込まれたことを証明してくれて欲しかった。・・。人々は、橋も上を、街のなかを、慢性になった飢えと不安とで外のことは考えられずに、生気のない目をして、通っていた。空っぽの腹を抱えて、この大戦の終焉を、どういうふうにしてよろこんだらいいものか。
そして、日本に関する記述も。
日本では内乱が起きる恐れがあるし、日本軍は満州で反撃に出るかもしれぬし、天皇とその将軍たちは近い将来報復すると言ってるし、シナは内乱の一歩手前に来ている。
そんな話があったんだ。日本国内での人々の捉え方と、おそらく大分違うのでしょう。私はあんまりこんな話は聞かなかったけど、確かに、海外からすると、そういう話も通りやすいかもしれません。
この本の第二部には、アメリカに滞在した頃のフィガロ紙に発表した記事がまとめられてます。はじめて接するアメリカ、NYについてのナイーブな感想が初々しい限り。こんなご婦人方の協会のことが書いてあります。
ある建物の18階で、私たちは「紅茶茶碗をかこんで」、数人の、銀髪の、あいそのいい、少々冷ややかで、男みたいに知的な、名流婦人たちに会った。・・・ この連盟は今日では2万6千人の会員がおり、各州に300の支部を持っている。500以上の新聞が、ここの資料を受け取っている。政治家はここの出版物を参考にしている。この連盟はしかも大衆に情報をあたえることは考えていない。つまり報道者たちに情報を提供するのだ。
外交政策協会、というそうです。こんなことがあったんだ。フランスではありえないこんな集団のことを考えて、サルトルは、アメリカ人が
いかに組織力とはげしいアメリカ化の力に従っているか
について、そしてこれが、
どうあろうとも、それはフランスにおけるような、個人主義ではなくて、その根底にあるのは画一主義である。
と結論。さすがサルトル。眠れぬ夜も、こういう発見があるからいいのかもしれない。
この恍惚とした爺さん顔、こいつのおかげか。
このIVを読んでみるとなかなか面白い。それで古本屋でIIIを探しだして自炊してFormaの中に。これは主に第二次世界大戦終結の頃の記録、どちらかというとエッセイです。かなり興味深い部分がいくつもあります。
旗を掲げて祝えとは言われていたものの、人々はそうはしなかったし、大戦は、無関心と懊悩とのなかで終焉を告げた。
フランス人が旗あげて祝うわけないしなと思いつつ、
日毎の生活で変わったところは何一つなかった。ラジオがいくらワンワン云っても、新聞が肉太の大文字でいくらかき立てても、我々を十分に納得させるわけにはゆかなかった。我々としては、できれば、なにか奇跡のようなもの、空に何かしるしのようなものでも現れてきて、平和が森羅万象の中にはっきりと刻み込まれたことを証明してくれて欲しかった。・・。人々は、橋も上を、街のなかを、慢性になった飢えと不安とで外のことは考えられずに、生気のない目をして、通っていた。空っぽの腹を抱えて、この大戦の終焉を、どういうふうにしてよろこんだらいいものか。
そして、日本に関する記述も。
日本では内乱が起きる恐れがあるし、日本軍は満州で反撃に出るかもしれぬし、天皇とその将軍たちは近い将来報復すると言ってるし、シナは内乱の一歩手前に来ている。
そんな話があったんだ。日本国内での人々の捉え方と、おそらく大分違うのでしょう。私はあんまりこんな話は聞かなかったけど、確かに、海外からすると、そういう話も通りやすいかもしれません。
この本の第二部には、アメリカに滞在した頃のフィガロ紙に発表した記事がまとめられてます。はじめて接するアメリカ、NYについてのナイーブな感想が初々しい限り。こんなご婦人方の協会のことが書いてあります。
ある建物の18階で、私たちは「紅茶茶碗をかこんで」、数人の、銀髪の、あいそのいい、少々冷ややかで、男みたいに知的な、名流婦人たちに会った。・・・ この連盟は今日では2万6千人の会員がおり、各州に300の支部を持っている。500以上の新聞が、ここの資料を受け取っている。政治家はここの出版物を参考にしている。この連盟はしかも大衆に情報をあたえることは考えていない。つまり報道者たちに情報を提供するのだ。
外交政策協会、というそうです。こんなことがあったんだ。フランスではありえないこんな集団のことを考えて、サルトルは、アメリカ人が
いかに組織力とはげしいアメリカ化の力に従っているか
について、そしてこれが、
どうあろうとも、それはフランスにおけるような、個人主義ではなくて、その根底にあるのは画一主義である。
と結論。さすがサルトル。眠れぬ夜も、こういう発見があるからいいのかもしれない。
この恍惚とした爺さん顔、こいつのおかげか。