2020年8月3日月曜日

サラの鍵

フランスの作家、タチアナ・ド・ロネによる「サラの鍵」、2006年に書かれた小説です。読むのが辛い、だけど夜更かしして読まざるをえない、久々に巡り会ったそんな本でした。但しこれは前半の話。二つの時間を交互に描くスタイルが終了して、一つの今の時間になる後半では、次第に緊張感も薄れ、割とありがちな話になって、最後は流し読みでした。

この前半の緊迫感はすさまじく、村上春樹のねじまき鳥クロニクルの、あの辛くて、おぞましい、しかし、目を背けることの許されない厳しさを思い出しました。驚くべき史実です。1942年、ナチスの傀儡政権が誕生したフランスで起こった13152人のユダヤ人の虐殺、しかもこれは自分の国内で行ったのではなく、屋内競技場に集めてそこからアウシュビッツに送ったという卑劣さ。わずかに生き残った子どもたち、ヴェルディヴの子供、として、1995年になってシラク大統領の演説によって、戦後長い時間が経過した後になって全容が明らかになったとか。

まったく知らなかった。フランス人である自らの責任を追求する気持ちもあっての厳しさなのでしょう。そういう点でも、ねじまき鳥クロニクルによく似ています。毎日顔を合わせて挨拶をしていた警官が、競技場の監視員になってしまう、非情。ですが、これが唯一の救いをもたらし、だけど、そこから描かれる残酷な結末。

どこまでが史実なのかは知りません。だけど、これは基本的に、本当にフランスで起きた、おそらくフランス史上で最悪の犯罪。あれだけ個人主義の強い、画一化を嫌う民族の国でこんなことが起こったことにつよい衝撃を受けました。

ただ、この作家は、村上春樹とは違って、基本はジャーナリストなのです。史実から起こした前半のレアリズムはものすごい。これはノンフィクションに近い書き方。これにはどこかエミール・ゾラを思い出しました。だけど、それが、おそらく創作だけの後半の部分になると、村上春樹のように想像力がさらに羽ばたく、というわけにはいきません。これは残念。

なぜひとはそうなってしまうのか。そして、なぜそれをなかったことにしてしまうのか。我々は、いつもそのことをどんなときでも問い続けないといけないのです。