2020年7月23日木曜日

「感受体のおどり」 ふたたび

「さざんかが咲いていた。花に名があるということになぐさむのをかんじた。伸びつのる脚に海は近く、晴れておだやかな波おとに白とべにのしぼりが優しかった。」

以前のブログで黒田夏子の「感受体のおどり」について書いたら、なぜかそれへのアクセスがずっと地味に続き、今だにアクセスされつづけてます。前のブログの大部分は公開終了にしたのですが、これは残しました。しかし、なんでこんなにマイナーな話にアクセスがいつまでも来るのか、感想文の対象にするような本でもないし、レポートにぱくられてるのでしょうか。それとも、学生さんの卒論のネタ調べ?

なんでもいいのです。この、日本の文学史上で希有な輝きを見せる、ほとんど奇跡のような作品が、ものすごい出版物の中でも埋もれることなく、人の記憶に残るのならば、それはうれしいこと。冒頭は、「うしろからの足おとにーーー」と題された章の第42番の頭の部分です。

まったくなんていう丁寧な心の記述!こんなに簡単にブログで書いてしまって良いのかとも思うほどの文章です。書いてますが。

冒頭に続く部分、

「 ずっと小さかったある宵の食卓で、だいこんの切りかたにいちょうだのせんろっぽんだのと名があるのをおとなたちの会話に聞き知って、ひそかになぐさんだのをおもいだした。だいこんという名だけでなく、きりかたまでがこまごまと名づけられていることの安らぎが、朱ぬりのわんのへりの温かな光沢とともにおりにふれてよみがえった。うらがえせば、事物があまりにも捉えどころなく過ぎていくという不安な悲しみに耐えなければといつも身がまえていたので、どんなわずかなぶぶんでもことばによっておぼえたりつたえたりできる領域がひろがるとなぐさんだのだ。」

この42番の前にはこんなところもあります。先生に連れられて絵を描きに海の見えるところにいったときの記憶から、

「捨ててしまったものは、野ふじのひとちぎりだけではなく、踏みしだいた草の匂いだけではなく、小とりやなかまたちのさざめきだけではなく、おちつけばかすかにつめたい初秋の風だけではなく、みえないうしろではなくよこではなくて上ではなく、見えている至近のものでもあるのだった。それでいていままでのならわしどうりに描いているほうがやがてまわってくる教員をやりすごすには最もらくなのだと私はもうわかっていたし、なかまたちが、組でゆびおりの描き手である嵐犬もふくめてやはりそうしているだろうともよくわかっていた。しかしこんなふうにほとんどなにもかもを切り捨ててしまった世界のかけらを模すという作業を、おとなたちが、みわたされた方法の体系の順当な過程として意図してしつらえているのかどうかは判じあぐねた。・・・・ (中略)
 しきりに暗いとおもった。まだ暗いと、おもいもかけず暗かったと思った。私にとって絵はそれほど重いいみをもたないもののようでもあるが、ことばで書く作業でもほとんどなにもかもを切り捨ててしまっていること、明確な根拠や選択からではなくてただそうしてでもとりかからなければはじめられないためのまにあわせに種族のならわしを借りただけのきわめてあいまいな出発であることを、野ふじの葉が、絵ふでをうごかしているじぶんの手が知らせてよこした。・・・」

おおよそ、日本語の極みです。前も書きましたが、これはほとんど源氏物語。黒田夏子が生涯をかけてひたすらに続けたこの作業の根底には、おそらく42番の上の引用に続く、下に記された思いがあるのでしょう。

「 物に名があるとはじめて知った日の記憶はない。ことばをもつまでのあいだ、ことばのない不安があったのかどうかの記憶もない。しかしもちはじめるや、たりなさは重くつもった。ことばにしないことは喪うことだとかんじられてそそりたてられるようにじれた。いのちがさかっていたので、無は小さな寂しみのつぶてを投げかえしてくるだけだったが、それは比喩ではなく、死そのものののかけらだったろう。」

無は小さな寂しみのつぶてを投げかえしてくるだけだった、子供の頃の記憶。たぐりよせる黒田夏子の丹念な作業は、なにか、とても大切なのです。