2020年8月29日土曜日

アルツハイマーの新薬、疑惑

去年の暮れに出ていたアルツハイマーの2つの新たな治療薬の件、前のブログに書いてました。こちら。
http://paidevali.blogspot.com/2019/11/blog-post_7.html

この記事にはアクセスが多く、また私も気になってました。調べたところ、新たな情報が新型コロナの中に埋もれてました。この記事で書いたOligomannateが米国で治験になったという話。4ヶ月前に出てました。
  https://www.beingpatient.com/seaweed-alzheimers-drug-clinical-trials-oligomannate/
アデュカヌマブについては日本での進展が報じられる中、遙かに安そうなOligomannateの続報がないかなと検索して、私の見てる医療系のニュースサイトでは出てなかったので気がつきませんでした。こちらには出てます。
https://response.jp/release/kyodonews_kaigai/20200428/66456.html

そしてさらに、検索してると、7月には待望の中国でのPhaseIIの治験の結果がpreprintサーバーに出てました。査読中と思われます。
https://europepmc.org/article/ppr/ppr184086

一日600、900mg(それぞれ、150mgのカプセルを2つ、3つとあるので量は半分になるはずだけど、1日2回なのかな)のoligomannate (GV-971)と偽薬を軽・中度のアルツハイマーの患者に24週間投与して、結果は統計的に有意ではないが効く傾向にあるという内容。これは希望が持てるとは思ったのですが、この治験が行われたのは2011年10月から2013年7月。ん?たしかに、そもそも中国国内では既に条件付きとはいえ使われてるはずで、となると、PhaseIIIも済んでるはず。

どうも妙な気がして、さらに調べました。すると、この記事。
https://www.sixthtone.com/news/1005912/neuroscientist-speaks-out-against-chinese-alzheimers-drug%2C-again

7月にSIX TONESという中国の非政府系メディアから出ている記事にたどり着きました。これによると、北京にあるCapital Medical Universityの学長Rao Yiという著名な学者(と書いてある)が、この一連の研究について、疑惑があり調査すべきである、という主張をしていて、すでにNational Natural Science Foundation of Chinaに調査をするような要請を行ったとのことです。

彼の疑念は、このoligomannnateの薬、GV971に関する一連の12報の論文と、上のブログで紹介したCell Researchの論文が一貫してない、ということと、この薬の効き目が彼らの云うような広範囲な作用の結果によるものならば、もっといろんな副作用が起きるはず、ところが、彼らの論文では有効な作用しか書かれていない、という2点のようです。

具体的ではないですが、これらの疑念は確かに、この話の全体に感じるものでもあります。これに対する他のレスポンスはなかなか見つけられません。アルツハイマーの新薬というのは世界中が待ち望まれています。唯一、これ以外にあるのが今進んでいるアデュカヌマブ、日本ではエーザイが動いています。だけどかろうじて効くのかどうかくらいで、ものすごく高いことは確実な薬。

アルツハイマーには世界中で膨大なお金がつぎ込まれ、多くの薬が登場しては消えてきました。このOligomannate、GV971は2003年以降ではじめて(限定付きとはいえ中国で)承認されたアルツハイマーの薬。国としても期待するでしょうし。それにこれは海草からの抽出物で圧倒的に安い。42カプセルで128ドル。一日6錠使うのなら高いですが、それでもアデュカマブとは比較にならないでしょう。副作用がないのは確かなようなので、多少でも効く可能性があるのならいいのかもしれません。もしかしたら、アデュカヌマブ程度には効くのかもしれない。おそらく、そういうことすべてを踏まえての米国FDAからの承認のはず。

だけど、がっかりです。どうかなあとは思いつつも、期待の新薬ではあったのに。この疑惑は重く、フォローが必要です。

追記 2021/06/12
アデュカヌマブの条件付きの承認で治験がはじまりました。実はこの記事の3ヶ月後には、上に書いたGV971の米国FDAでの米国・ヨーロッパでの治験が承認されてはじまっています。こちらに書きました。https://janushons.fc2.net/blog-entry-35.html

2020年8月27日木曜日

スプートニクの恋人

夜中に目が覚めてkobo formaを取り出したものの、あいにくそのとき読んでたのがカポーティの「誕生日の子どもたち」で、つまらなくて断念したばかり。カポーティってこんなにつまんなかったっけ、次は何を読もうか、と考えつつ、眠りに落ちたところでした。Formaの中にはまだあまり本を入れてないのだけど、村上春樹のいくつかは読み直そうといれてました。では、と「ねじまき鳥クロニクル」を開いたものの、あんまりこれはそんなときに読むものじゃない。

ではと「スプートニクの恋人」を開きました。これはなにかとてもいい。1回目に読んだときも思いましたが、これは長編だけど、ねじまき鳥とは違って割とすんなり書けてさくっとできたもの、ではないかと。

不思議なくらい、こんな目がさえた夜中にはまります。その夜のあとも読み続けて数日で終了。

この小説、たぶん、キーとなるのは最後に出てくるこの部分。万引きした子、あろうことか学校の先生である「ぼく」が逢い引きを重ねている母親の子供であるにんじんくんを連絡を受けて引き取って喫茶店に入り、ひとことも話そうとしない彼を前にして、こんな話をします。

ひとりぼっちでいるというのは、雨降りの夕方に、大きな河の河口に立って、たくさんの水が海に流れ込んでいくのをいつまでも眺めているときのような気持ちだ。雨降りの夕方に、大きな河の河口に立って、水が海に流れ込んでいくのを眺めたことはある?

答えるわけもないにんじんに、こう続けます。

たくさんの河の水がたくさんの海の水と混じりあっていくのを見ているのが、どうしてこんなにさびしいのか、ぼくにはよくわからない。でも本当にそうなんだ。

妙に無駄な繰り返しの多いこのフレーズ、この物語の底辺に流れているのは、こんな感覚。

奇妙な、だけど実はとても大事だった女友達のすみれがギリシャで急に失踪してしまい、彼女を探して小さな島にまで、すみれが憧れを抱いている同室だった先輩、ミュウに会います。そこで彼女が語る、「泣こうとして泣けないでただ体を震わせている」すみれを抱き寄せたとき、感じたことは

さびしくて怯えて、誰かの温もりをほしがっているのだ。松の枝にしがみついている子猫のように。

こういう物語です。とくにいくつもの彼らしい気の効いた表現が秀逸です。たとえばこんなの。

ペテルスブルグ行きの列車がやってくる前に、年老いた踏み切り番が踏切をかたことと締めるみたいに。

そういえば、すみれは文章を書きます。いくらでも書くことができる、だけど、それは

ときどき、異なった趣味と疾病を有する何人かの頑固な婦人たちが一堂に会して、ろくすっぽくちもきかずにつくりあげたパッチワークみたい

なもので、ひとつも小説にはならない。そんなすみれに、「ぼく」はこんな中国の門の話をします。

人々は荷車を引いて古戦場に行き、そこにちらばったり埋もれたりしている白骨を集めれるだけ集めてきた。歴史のある国だから古戦場には不自由しない。そして待ちの入り口に、それらの骨を塗り込んだとても大きな門を作った。慰霊をすることによって、死んだ戦士たちが自分たちの街を守ってくれるように望んだからだ。でもね、それだけじゃ足りないんだ。門が出来上がると、彼らは生きている犬を何匹か連れてきて、その喉を短剣で切った。そしてそのまだ暖かい血を門にかけた。ひからびた骨と新しい血が混じりあい、そこではじめて古い魂は呪術的な力を身につけることになる。そう考えたんだ。」
すみれは黙って話の続きを待っていた。
「小説を書くのも、それに似ている。骨をいっぱいに集めてきてどんな立派な門を作っても、それだけでは生きた小説にはならない。物語というのはある意味では、この世のものではないんだ。本当の物語はこっち側とあっち側を結びつけるための、呪術的な洗礼が必要とされる」
「つまり、わたしもどこかから自前の犬を一匹見つけてこなくちゃいけない、ということ?」
ぼくはうなずいた。
「そして温かい血が流されなくてはならない」

これが生きた物語、どこかで犬が連れてこられて温かい血が流されたのかもしれません。さくっとできたように見える、と勝手なことを読者はいうわけですが。

物語というのは不思議なものです。特に村上春樹のを読むと、そのことをいつも考えます。夜中に目が覚めるのは、そんなに悪いことじゃないかもしれない。


老ネコでも追加しておこう。

2020年8月22日土曜日

Tolånga

Tolånga は、スウェーデン南部の村。14世紀、猛威を振るった黒死病、ペストによって人々が死に絶え、滅びかけた村のなかで、二人の異常に背の高い男性が生き残り、この村を再建したという伝説があるとか。いわゆる巨人伝説の一つなのでしょうか。

この地方に伝わるポルカを元にした曲を 232 Strängar という、スウェーデンのピアニストとバイオリニストの女性デュオが演奏してます。
https://www.youtube.com/watch?v=i-3ldKxA1kI

エストニアのラジオ局、KlassikaradioにFolgialbumという番組があり、外国の音楽を紹介しているので、よく聞いてますが、ここで彼女らの2つめのアルバム、Pillikud - Metsaunelm(葦/森の夢)が紹介されてました。何気なく聞いてましたが、次第に聞き惚れてしまいました。

これは5月に登録されていて、画像は家でポルカを踊るいろんな人たちです。おうちで楽しく、という、この頃よく作られた動画で、これを見てるとなんだか誰かが犬を抱いてるシーンを思い出すのであんまりぞっとしないところもあるのですが、この画像の素直さは、そんなことを払拭させてくれます。

人は、すべて生き物と同じく、自らの生存を脅かす他の生き物とずっと闘ってきました。しばらく忘れていましたが、我々人間もその宿命から逃れられません。黒死病が荒れ狂い、ヨーロッパの多くの街を滅ぼしていた時代、人々の恐怖を思います。ものを燃やして暖をとるしかない、水で流してくれるようなトイレもなかった時代。病原体がなんなのかもわからないまま、周りの人たちが次々に倒れていく、その恐ろしさがどれほどのものだったか。

そして、その恐怖から生き延びて、なんとか封じ込めてしのごうとすることを長く続けてきた人々の努力。この二人の音楽はそういうことを思い出させてくれて、心震えるものがあります。

2020年8月15日土曜日

黒ヶ丘の上で

これは、第二次世界大戦前からインベーダーゲームが登場する時代まで、ウェールズの田舎の丘の上の農場で生涯を過ごし、心の深いところでつながっていた双子の兄弟の物語。「パタゴニア」という魅惑的な紀行記を書いたブルース・チャトウィンによる三作目です。

「パタゴニア」の印象があまりに強いためでしょうが、あんまり面白くないかも、と思いつつも、なにか惹かれるものがあり、日課的に最後まで読んでました。

たとえば、双子のもう一人の兄弟だった姉が、家を飛び出してアメリカに渡り、消息がなくなったあと、その娘、つまり双子の姪がその息子を連れて、自らの故郷を探して貧困の中を黒ヶ丘にたどり着く。そこでクリスマスの日に、その二人に会わせるために息子のケヴィンを連れてきた教会の中の、何気ない描写。

ホールの中は震えるほど寒かった。パラフィンストーブが2台しかないので、後列のベンチまではとても暖まりきらなかった。すきま風が扉の下からヒューヒュー吹き込み、床板は消毒剤の臭いがした。観衆はマフラーとコートにくるまって腰掛けていた。アフリカでの伝道を終えたばかりだという説教者が会衆ひとりひとりに握手をして回った。

ごくありきたりの光景、チャトウィンが好きなのはこんなところ。パタゴニアでもそうでした。だからなんなのか、そもそもこの物語は一体何の意味があるの、と思いながらも、だけど読まざるをえない、そんな小説。

娘を追い出したことを父親のエイモスは深く後悔していて、事あるごとに妻のメアリーに爆発します。この二人の関係は微妙で、読んでいると一体メアリーはエイモスを愛していたのかどうかもわからなくなります。このあたりのわからなさ、人の心の漂う感じも、この物語の不思議な魅力の一つなのかもしれません。つまり、面白いと思ってるわけですが。

娘を思って悲嘆に暮れるエイモス。

おびえた子供が人形にすがりつくように、彼はメアリーにすがりついた。だがメアリーは夫の問いかけにどう答えたらいいのかわからなかった。

チャトウィンの人生はその輝く才能をほしいままにしたように見えます。でも、彼は50を迎えることなく生涯を閉じ、残された作品はあまり多くありません。最初に発表したパタゴニアがあまりに素晴らしく、これがもしかすると、実は重荷だったのかもしれない。他のも読んでみようかな。

2020年8月7日金曜日

ACE2受容体は健康な肺にはほとんどないらしい+ワクチンの話

COVID-19ウイルスが結合するとされるACE2分子は肺など呼吸器に発現してるとばかり思ってました。ところが、Molecular Systems Biologyに今回発表されたスウェーデン・Uppsala大の詳細な研究によると、実は気道~肺にはほとんど発現してないとか。
https://www.embopress.org/doi/full/10.15252/msb.20209610

ではなぜこのウイルスが呼吸困難を起こすのか?ウイルスは確かに感染者では気道下部にある肺胞II型細胞に多く見られます。ACE2受容体は、実はウイルス感染すると急に発現が増えるようです。これはインターフェロンによって起こされ、これはウイルス感染そのものによって起きると、彼らは考えています。おそらく上気道のACE2受容体にウイルスが少しついて、そこでインターフェロンを出させてACE2受容体を激増させ、ウイルスが肺の中にどんどん入っていく、というイメージでしょうか。この辺はこちらの紹介記事の方がわかりやすい。
https://www.embopress.org/doi/abs/10.15252/msb.20209610

問題は、一体、インターフェロンは治療に使えるものなのか、あるいは逆に危険なのか。結果的には、先に書いたように、たとえば武漢での医療人へのインターフェロンの鼻からの噴霧が有効と思われる結果などでいいような感じですが、逆に、実は理屈からいくと、また、マウスの実験
https://rupress.org/jem/article/217/12/e20201241/151999/

では、逆に、悪いはず。理屈、というのは今までの知見に基づいた、という意味なので、単に知識が足らないだけという事もあります。だけど、ここまで逆になるのは珍しい。このウイルスの謎の一つです。


ところで。英国のアストラゼネカ/oxfordから1億本以上のワクチンを供給してもらうという契約を日本が結んだとかいう話がでてます。これは組み替えアデノウイルスを使うタイプです。これまでこのような遺伝子組み換えウイルスがワクチンとして使われたことはありません。国全体で臨床試験をやるつもりでしょうか。普通ならこの種類のがワクチンとして認可されることはないはずなのだけど。

ワクチンの場合、そのリスクがどれくらいなのかの判断はとても難しく、短期的な安全性はもちろん確認できてもそれが長期的に有効か、安全なのかは長い時間がかかります。それで今回やってしまえばわかるだろう、ということなのでしょうが。

一方で米国のモデルナ/NIHが進めてるタイプは、前も書いたmRNAで、これもこれまで使われたことはないですが、理屈の上では一番安全性が高い。ファイザーもこちらのを作ってます。

ただ、ワクチンとして一番安全そうなのは、従来からのワクチン開発で行われてきたように、不活性ウイルスを用いるもので、これは中国が先を行ってます。ワクチンをうつならこちらだな。だけど、自分ではうたないと思いますが。

2020年8月3日月曜日

サラの鍵

フランスの作家、タチアナ・ド・ロネによる「サラの鍵」、2006年に書かれた小説です。読むのが辛い、だけど夜更かしして読まざるをえない、久々に巡り会ったそんな本でした。但しこれは前半の話。二つの時間を交互に描くスタイルが終了して、一つの今の時間になる後半では、次第に緊張感も薄れ、割とありがちな話になって、最後は流し読みでした。

この前半の緊迫感はすさまじく、村上春樹のねじまき鳥クロニクルの、あの辛くて、おぞましい、しかし、目を背けることの許されない厳しさを思い出しました。驚くべき史実です。1942年、ナチスの傀儡政権が誕生したフランスで起こった13152人のユダヤ人の虐殺、しかもこれは自分の国内で行ったのではなく、屋内競技場に集めてそこからアウシュビッツに送ったという卑劣さ。わずかに生き残った子どもたち、ヴェルディヴの子供、として、1995年になってシラク大統領の演説によって、戦後長い時間が経過した後になって全容が明らかになったとか。

まったく知らなかった。フランス人である自らの責任を追求する気持ちもあっての厳しさなのでしょう。そういう点でも、ねじまき鳥クロニクルによく似ています。毎日顔を合わせて挨拶をしていた警官が、競技場の監視員になってしまう、非情。ですが、これが唯一の救いをもたらし、だけど、そこから描かれる残酷な結末。

どこまでが史実なのかは知りません。だけど、これは基本的に、本当にフランスで起きた、おそらくフランス史上で最悪の犯罪。あれだけ個人主義の強い、画一化を嫌う民族の国でこんなことが起こったことにつよい衝撃を受けました。

ただ、この作家は、村上春樹とは違って、基本はジャーナリストなのです。史実から起こした前半のレアリズムはものすごい。これはノンフィクションに近い書き方。これにはどこかエミール・ゾラを思い出しました。だけど、それが、おそらく創作だけの後半の部分になると、村上春樹のように想像力がさらに羽ばたく、というわけにはいきません。これは残念。

なぜひとはそうなってしまうのか。そして、なぜそれをなかったことにしてしまうのか。我々は、いつもそのことをどんなときでも問い続けないといけないのです。