2020年8月15日土曜日

黒ヶ丘の上で

これは、第二次世界大戦前からインベーダーゲームが登場する時代まで、ウェールズの田舎の丘の上の農場で生涯を過ごし、心の深いところでつながっていた双子の兄弟の物語。「パタゴニア」という魅惑的な紀行記を書いたブルース・チャトウィンによる三作目です。

「パタゴニア」の印象があまりに強いためでしょうが、あんまり面白くないかも、と思いつつも、なにか惹かれるものがあり、日課的に最後まで読んでました。

たとえば、双子のもう一人の兄弟だった姉が、家を飛び出してアメリカに渡り、消息がなくなったあと、その娘、つまり双子の姪がその息子を連れて、自らの故郷を探して貧困の中を黒ヶ丘にたどり着く。そこでクリスマスの日に、その二人に会わせるために息子のケヴィンを連れてきた教会の中の、何気ない描写。

ホールの中は震えるほど寒かった。パラフィンストーブが2台しかないので、後列のベンチまではとても暖まりきらなかった。すきま風が扉の下からヒューヒュー吹き込み、床板は消毒剤の臭いがした。観衆はマフラーとコートにくるまって腰掛けていた。アフリカでの伝道を終えたばかりだという説教者が会衆ひとりひとりに握手をして回った。

ごくありきたりの光景、チャトウィンが好きなのはこんなところ。パタゴニアでもそうでした。だからなんなのか、そもそもこの物語は一体何の意味があるの、と思いながらも、だけど読まざるをえない、そんな小説。

娘を追い出したことを父親のエイモスは深く後悔していて、事あるごとに妻のメアリーに爆発します。この二人の関係は微妙で、読んでいると一体メアリーはエイモスを愛していたのかどうかもわからなくなります。このあたりのわからなさ、人の心の漂う感じも、この物語の不思議な魅力の一つなのかもしれません。つまり、面白いと思ってるわけですが。

娘を思って悲嘆に暮れるエイモス。

おびえた子供が人形にすがりつくように、彼はメアリーにすがりついた。だがメアリーは夫の問いかけにどう答えたらいいのかわからなかった。

チャトウィンの人生はその輝く才能をほしいままにしたように見えます。でも、彼は50を迎えることなく生涯を閉じ、残された作品はあまり多くありません。最初に発表したパタゴニアがあまりに素晴らしく、これがもしかすると、実は重荷だったのかもしれない。他のも読んでみようかな。