2020年5月31日日曜日

Windows10にしたLet's note CF-J10のOS更新

パナソニックのLet's noteのCF-J10をWindows10に更新したという記事は昨年書きました。このサブノートはメーカーではWindows10に更新できないとされてます。

これで使えてましたが、どうも気になっていたのがファンが始終回っていること、つまりそれだけCPUをくってることでした。いろいろと電源周りをいじったり要らないサービスを削ったりもしましたが、余り改善されず、常時70%以上の使用率で、明らかに異常な状態ではありました。

だから、メーカーはCF-J10はWindows10にはできないといってたのかなとも思ってました。と思いつつも家では使っていて、気がついたら、今回のWindows10の大型更新をはじめてました。このマシンでは更新を遅らせる設定を忘れてました。この更新はとくに評判が悪いため、他のマシンでは導入をしないように更新日を最長の30日後にずるずる延ばしてます。

だけど、時既に遅く、CF-J10は更新作業をはじめてたので仕方ないと一晩ほっておきました。朝起きたら更新が修了しててEdgeが開いてあり更新による新しい機能とかが出てましたが、どれもほとんど要らないものばかり。毎度のことと思いつつも普通に使い出しましたが、なにかマシンが静かでファンが回ってません。壊れたわけもないだろうしとタスクマネジャーを開いたところ、CPUの使用率がほぼ数%で安定しています。

Vpnにつなぐと一瞬増えますが、それも20%程度で、すぐに数%に下がります。メモリは4Gしかないのですが、こちらは2~2.3G使ってて、これは増えてるでしょうか(記憶に無し)。OSをあげて以降、このマシンでCPU使用率がこんなに低いままで落ち着いたことはありませんでした。

ということは、今回の更新では地味にこの基本的なCPUへのプロセスの割り付けなどがかなり改善されたのかもしれません。本来は、OSの更新とはそういうものです。これでバッテリーの持ちもずっとよくなるはずで、夏場にもこれを足の上に置いてうつのが暑くてたまらんということもあまりなくなるはず。

おかげで、この10年ものの32bitのサブノートでも安心して使えるようになりました。無理にWindows10にはしたものの、さすがに新しいのを買うしかないかなとも思ってただけに、これはありがたい。これはSSDを乗せた個人的には最初のマシンで、駆動部がないので壊れる要素が少なく、ハード的にはとても安定してて、サブノートなので使いやすい。おおげさにうたわなくても、こういうのは地味でも資源エネルギーへの大きな貢献なのかもしれません。

2020年5月29日金曜日

Blind Willie McTell

こんな曲があったとは。。。この前Murder most foulについて書いて以来、Bob Dylanの詩を読み返して、あらためて惹かれてました。

YoutubeのなかにおいてあるBlind Willie McTellという曲。これは1983年に発表されたアルバムInfidels収録時に録音されたものです。ですがなぜかこの中には収められず、Bootleg seriesの中に収録されて世に出ました。このアルバムは聞いたはずだけど、そのときは気がつかなかった。

例によって彼の英語は難しいので、「廃墟のレコード屋さん」の訳を借ります(この方もきっとdesolation lawが好きに違いない)。これはBlind Willie McTellという盲目のブルースシンガーを歌った曲です。知らなかった。何度も聞いて、読み返しています。


私はフクロウのホーホーという歌声を聴いた
彼らがテントを取り壊しているときに
荒地の木々の上の星たちが
彼の唯一の観客だった
濃灰色のジプシーの娘たちは
その羽毛を十分に見せびらかすことができる
だが誰もブラインド・ウィリー・マクテルのようにブルースを歌うことはできない

大農園が燃えているのを目にして
鞭の裂ける音を聞いて
花咲く木蓮の甘い匂いを嗅いで
奴隷船の亡霊たちを見て
私にはそれら部族たちの呻きが聞こえる
葬儀屋のベルが聞こえる
誰もブラインド・ウィリー・マクテルのようにはブルースを歌えない

この2段目はoriginalはこちら
See them big plantations burning
Hear the cracking of the whips
Smell that sweet magnolia blooming
See the ghosts of slavery ships
I can hear them tribes a-moaning
Hear the undertaker's bell
Nobody can sing the blues
Like Blind Willie McTell

なかでも、この部分
I can hear them tribes a-moaning
Hear the undertaker's bell
にはしびれます。

1983年、まだ私が日本にいて早く海外に行きたいなあと空ばかり眺めてた頃、こんな曲を彼は歌ってました。この、
nobody can sing the blues
Like Blind Willie McTell
というリフを持ついかにもブルースらしいブルースは1983年の彼には珍しく、彼が元々もっていたざらざらした輝きに満ちてます。とりわけこの詩が素晴らしい。なんという果てのない想像力なのか。

先の記事を書いてたとき、どこかで見つけたゴシップ的なサイトで、彼はツアーを終わると、打ち上げに昂じるバンドの仲間を尻目に、いつもさっさとひとりでバスに乗り込み、黙って次の目的地に向かう、という記事を読みました。

次から次に溢れてくるとほうもない言葉でつむがれ、言葉によってさらにわきあがってくる物語のなかで、彼は次から次へのその世界を大勢のバンドメンバーと、だけどひとりで旅しているのでしょう。その孤独が、なにか胸を打ちます。

2020年5月27日水曜日

月が明るいと感染は減る(のか?)

夏になるとcovid19は納まるのか、というのが誰もが願うこと。なかなかエビデンスが出てませんがコネチカット大学らの研究によるとこれは正しいだろう、ということです。未査読論文です。
https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2020.05.05.20092627v3

世界中の都市での状況を調べてプロットしたグラフがこちら。
温度とウイルス産生数(Log)の単純な分布図です。全体的に、寒いと増えて特に25度以上で減ってルように見えます。25度以上だと一度上がるごとに3.7%減ってるそうです。これくらいのばらつきではありますが。10度上がると3割減りますか。


ところが紫外線についてみると、強い紫外線のところではむしろ感染数が増えてます。紫外線が強すぎると、人の防衛能力が落ちるのかもしれない。 もっともこういう相関性を調べると、なにか傾向は出るもので、どれくらいあてになるか意味あるかわからないですが、彼らは調べられるあらゆるものとの相関を調べたようで、月が明るいと感染は減るという関係があるという結果も得られたそうです。意味不明ですが、それなりに物語は作れそう。村上春樹に頼むとか。

だけどすでに日中では30度を超えることもある北九州市では、第三波が来ている模様で(4月のは第二波とされてます)、第一波の時も、北九州は早くに感染者が出ました。今回はこれがそのさきがけにならない事を願います。ちょうど、昨日、韓国ソウルで40名感染というニュース。北九州市は地理的に韓国と近く、高速船だとすぐで、仕事での人の交流が多い。闇のお仕事の交流もあるのかもしれない。何か、関連があるのでしょうか。

追記 5/31
この研究、信じたいのは山々ですが、この数日、フィリピンで爆発的に増えています。フィリピンではこの2週間ほど、200人台をキープしてましたが、この4-5日前から増えだし、この3日間で、380、539、1046人と感染者数が指数関数的に増えてきました。また、感染防御のお手本とされ、入国も緩和するとかいうニュースもたしかでてきていたタイ国でも数は少ないのですが、3、9、9、11人と連日新規感染者数が増えてきました。

猛暑とつたえられるインドではこの2週間で2倍になり、毎日、7000人を超える感染者が出ています。単純に暑いとCOVIDはいなくなるという甘い夢はあきらめます。

2020年5月25日月曜日

Aliexpressからマスクと赤外線体温計

GW前に注文してたマスクと赤外線体温計が3週間くらいかけて中国から来ました。
いつものAliexpressです。体温計はおでこで測るタイプで、アマゾンだと8000円くらいするのでバカらしくてここから買うことに。これは買ったときが2300円くらいで、今は2100円くらいに下がってます。体温モード(34.8-42.4℃)と0-100℃までの表面温度計の切り替えができます。体温計モードでは大体0.2度の精度だそうです。体温を0-100℃モードで測ると大分低く出て、こちらは確か1-2度の精度のはず。マニュアルはこちら。HT-668というのが型番らしい。

中国っぽい赤ん坊の絵がいいです。

数年前に研究用に赤外線温度計を2万くらいで買いましたが、それと比較してもほぼ同じくらいの精度ですごい進歩です。もちろん体温範囲でもとても正確に安定した測定をしてくれます。耳式の赤外線体温計を持ってましたが、微妙に壊れ気味で面倒なので、これを買ったのですが、ずっと楽になりました。毎日、検温が大学では求められてるもので。

マスクは安かったのでついでに買いました。そのときは50枚で1250円でしたが、今見たら、1000円になってます。箱無しですが、ものはちゃんとした3層の使い捨てタイプです。コロナ前に買ったものよりも層が厚く、しっかりしてます。2つ買いました。

Aliexpressはアマゾンと違って、直接、販売元と連絡取れるので、何かあったときに安心なので、いつも使ってますが、遅いのが難点。だけど、いい買い物でした。

2020年5月24日日曜日

Murder Most Foul

4月に発表されたBob Dylanの新曲、Murder Most Foul 。17分にも及ぶ、何の盛り上がりもない、メロディらしいものもない、こんなフラットな曲がビルボードの1位になりました。これをどう書けばいいのか、長く考えてました。

ジャニス・ジョップリンもジミヘンもいなくなり、top of the worldがちまたに流れるつまらん時代に青春を過ごした人間としては、そんな時を生き延びてきた彼の音楽は、ほとんど唯一の輝きでした。71年のバングラデッシュのコンサートの時に、それが輸入されたとき、それを中州の映画館で友達と見たときが、最高にしびれた瞬間でした。あれほど憧れた音楽もなかった。

最初に買ったレコードは、ワイト島でザ・バンドとののライブのミニアルバム、その、あとから随分酷評されているLike a rolling stoneが、最初に聞いた音楽でした。ポータブルプレーヤーで、ステレオですらありません。

だけど、夕食の前に、応接室でレコードを取りだして、針が降りて最初の音、観客のざわめき、ベースとギター、オルガンがパラパラと出てきて彼の歌につながったときの感動は忘れません。当時は、誰もがこれを好きだろうと思って友達に貸したりしてましたが、変な顔されただけ、中学1年がこんなのを聞くのかと今では思います。えらくませたがきでした。以来、お小遣いを貯めては1枚1枚とアルバムを買いました。中学校時代、学校は嫌いで帰ってきたら、いつも2階の親父の部屋のステレオで1枚ずつ聞いてました。

リアルタイムで新作アルバムを聞く機会は長く来ませんでした。そもそも、その頃、彼の曲がラジオで流れることなんてほぼなかったし。その頃、ラジオ(AMです)でdesolation lawという彼の長い曲が拓郎の深夜10:45からの15分の番組(何という名前だったか)でかかり感激しましたが、これがこの曲の日本でのただ一度きりのオンエアだったのは確実。

高校になってようやく新アルバム「血の轍」が出て、ほんとに楽しみにしてましたが、随分がっかりしました。以来、いくつもアルバムを再び出すようになりましたが、二度とバングラデッシュのときのようなまぶしさは感じなくなりました。だから、ボストンに住んでた頃、ボストン大学に彼がやってきたときも、ちっとも行こうと気になりませんでした。意地でも聞かないようにしてたのかな。

なので71年よりも前の彼の曲ならどれでもよく知ってます。歌詞カードの中川五郎の訳は神でした。それもよくわからなくて、英語の先生に聞きに行ったくらい。困ってましたが。

彼の詩は謎です。どうとらえればいいのか、何を表現してるのかもよくわからず、ただ、妙にそのイメージはずっと焼き付いてました。Fourth time aroundというBlonde on BlondeのB面にある曲はその中の最たる例。この題名からしてわからなかった。これは物語なのです、それはわかるのだけど、一体、それがなんなのか、中学生には無理。

今回、調べてみると、wikiなどにこの曲はあり詳しい説明があります。ビートルズのノルウェーの森に触発された、いわば反歌のようなものであるとのこと。ご本人がジョージ・ハリスンに云ったくらいだからそうなのでしょう。

そんなことはちっともしらず、唯々謎で、だからなのでしょうが、いつもそんな曲が頭の中で響いてました。たしかに、そういえばノルウェーの森にメロディも形が似てますし、印象も似てる。

その前のアルバムのLove minus zero / no limitは、とくに憧れでした。このとても神秘的な曲は、その抽象性のためにかえってよみやすく、イメージが明解でとても残ります。アルバムHighway61の中のもよかったけど、Royal Albert Hallでのperformance(海賊版として出回ってました)は、神がかってました。

The bridge at midnight trembles
The country doctor rambles
Bankers' nieces seek perfection
Expecting all the gifts that wise men bring

The wind howls like a hammer
The night blows cold and rainy
 My love she's like some raven
At my window with a broken wing

見事な四行詩。最後の行、とくにbroken wingは有名です。

何と長いイントロなんだ、Murder Most Foulを説明しようとしてまだ終わりません。

だけど、彼はずっと活動を続け、時々びっくりするような曲を発表してきました。これだけ長くツアーを続けてきたミュージシャンは他にいないのでは。それは、彼が表現したいことがものすごく沢山あるから。昔からそうですが、彼の歌はほとんど詩に重きを置くようになり、歌と云うよりはつぶやきか、伝道師のようになってきています。ただでさえわかりにくい発音で、また書かれてもむずかしいくらいなのでライブで聞いても少しもわかりません。ただ、そのlyricsを読みながらなら、なるほどと来るのはありました。

今、欧米でも自粛に耐えきれず徐々に街はオープンしてきています。だけど、米国でも、昨日一日で1305名もの方がなくなっています。これは20日前とほとんど同じ数字です。ベトナム戦争の時でも、ここまでの死者が出ることはありませんでした。

さすがに新曲のリリースは8年もなかったのですが、こんな中にこの、かつてないほど長い曲がリリースされ、ビルボードを駆け上がりました。この曲、私の英語力と文化の理解ではとても歯が立たず、なんと中川五郎さんがすぐに訳詩を公表してくれました。注釈もつけて。これだけでも感激。彼の気持ちを感じます。これはJFKの暗殺からはじまります。中川五郎訳から借ります。


「アメリカ大統領専用機がゲートの向こうからやって来た
2時38分にジョンソンが宣誓して就任した
タオルを投げ入れて負けを認める覚悟があなたにできたら教えておくれ
すべては見てのとおり、そして卑劣なことこの上ない殺人なんだ

何かいいことないか子猫チャン? わたしは何て言ったのかな?

国家の魂が引き裂かれたとわたしは言ったんだ
そして腐敗と衰退へとゆっくりと向かい始めたと

そして最後の審判の日から36時間が過ぎてしまったと
ウルフマン・ジャック、彼は恍惚としてわけのわからないことを口走っている
声を限りにいつまでも喋り続けている」


言葉も、こうして書くと一文一文はわかりやすくなってきました。この部分は曲の中頃にあり、ここでまとめられてます。この曲では、こういう世界を表そうとして、ビートルズの懐かしい光景が一瞬現れたりするうちに、ウルフマン・ジャックが出てきて次第に深いところに入ってきます。


「顔を黒く塗った歌い手、顔を白く塗った道化師
日が沈んでからは顔を出さない方がいいよ
赤線地帯ではおまわりが巡回している
エルム・ストリートの悪夢の中で暮らしている
ディープ・エラムに行くのなら、持ち金は靴の中に隠すんだ

国が自分に何をしてくれるかなんて聞くもんじゃない」


ディープ・エラムというのはエルム街にもつながるダラスの繁華街だそうです。輻輳するイメージがいくつも出てきます。注釈無しには異文化の人間にはわからない。彼の曲は社会への批判なのか違うのかはっきりしろ、こんな話は昔からありましたが、そんなのとは無関係に、この詩は妙に今の社会に響くものがあります。

「三人の浮浪者たちがやって来るよ、みんなボロボロの服を着ている
後始末をして、旗を降ろして降伏して
わたしはウッドストックに行くところ、アクエリアス(水瓶座)の時代なんだ
それからわたしはオルタモントまで足を延ばして、ステージのすぐ近くに座り込むんだ
窓から顔を出して、いい時代よこのままいつまでも」


読めば読むほどわからなくなるのが彼の詩です。一体、これはなんなのか、気がついたら何度も読み返して、聴いてます。彼の優れた曲はいつもそう。ところで、ネットを調べたところ、彼の曲がビルボード1位になったのははじめて、とのこと!なんと、Like a rolling stoneは2位だったのか。Highway61のライナーノーツに1位と書いてあったので、ずっと信じてました。あれは、中村とうようさんではなかったか。彼は、好きなことを十分やったとつぶやいて自殺してしまいました。

救いを求める、逃げ場のない今のアメリカの社会。胸が痛くなるほど。おそらく以前に録音されてお蔵入りになってたものなのでしょう。一ファンとしてはうれしいですが、いろんな意味で、これは本来そんな曲じゃない。それが1位になるほど、新型コロナに翻弄されつくされているアメリカの苦しみの深さを感じます。

2020年5月21日木曜日

モントリオールの厳しい情況

ようやく福島でも新規感染者ゼロの日が10日続き、本学でもそろそろ感染者病棟を縮小しはじめることになりました。東北全体でも殆ど出ておらず、東京でも一桁になって、ほっとして、論文読もうとしたら読めない雑誌があったのでモントリオールの昔のラボメートにメールをしました。モントリオールを出てから、随分長い時間が経ってますが、一緒にやってたときのようにずっといろんなお手伝いをしてくれてます。こちらが厚かましいだけという話もありますが。

ふとカナダでのcovidの状況を見ると、アメリカに準じて感染者数も死者数も多いことが気になり、彼女にpdfの御願いとモントリオールの状況を聞いてみました。考えてみたら、感染が広がって以降はメールしてませんでした。

モントリオールはカナダの感染の中心なのよ、と彼女が書いてきました。McGill大学では8月末まで完全閉鎖で、ラボにも立ち寄ることができず、講義は12月末までの遠隔授業が決まってるとのこと。オランダから来てる学生が1月まで遠隔授業に決まったといってましたが、モントリオールでも年内の終結は無理という判断だそうです。

街の様子を知りたいと思い、Montreal Gazetteという懐かしいモントリオールの唯一の英文の新聞社のサイトを覗いてみました。だけど、そんな感傷もすぐに引っ込みました。


ここで言ってるMontrealとはおそらく、モントリオール市と周辺地域をあわせた地域のことと思います。あわせると400万人くらい住んでます。 セントローレンス川の上流の三角州、モントリール島の大部分がモントリール市になります。マンハッタン島のようなものです。モントリオール市には160万くらいです。
住んでいたエリアはこの足の形の島の右手ちょっと上でした。このへんにMontRoyalという小高い山があり、これがモントリオールのシンボルで、McGill大はその東側のスロープにあり、こちら側が英語系住民の居住地域になります。4年半ここでポスドクしてましたが、ほとんどこのエリアから出たことがなく、地図も見なかったので、当時はこんなところに住んでるとは思いませんでした。お恥ずかしい話。

モントリオール市はEastとWestに分かれていて、フランス系住民が圧倒的に多い東と、英語系住民が多く住むWestの対立は長く続いていました。Wikiを見ると、このモントリオール島での統治についても2002年には一度モントリオール市が管轄すると決まったものの、おそらくフランス系住民重視に辟易したWestの多くの地域が独立して自治体を運営することになってます。日本では想像もつかない世界です。

こうやって地図を見ると"Est"は実は北で、Westはその南側になるようです。ややこしい。ともかく感染者数について示したものがこちら。

北部に集中していて、ここでは2%の住民に感染が起きています。友達の話によると、このエリアは人口密度が高い地域で、おそらくそのために感染が広がったのではないかとのことです。長年住んでましたが、ここは行ったことがなく、まったくイメージが湧きません。新たに整備されて、おそらく移民が暮らす地域になってるのかもしれません。地域格差は日本の比ではなく道を歩けば歴然です。今のトルドー大統領と、かつて名大統領として有名だった父親の大統領の家のあるWestmountのあたりは感染率が低く、USと同じで、貧しく密集した地域で感染が広まる構図でしょう。

死者数を見ると、モントリオール全体で2323人と、全人口の0.06%、感染した人の一割くらいが亡くなってます。10%超というとても高い死亡率で、日本の死亡率が約0.05%なのでその20倍超えてます。そのうちの~90%が施設に住む高齢者です。

高齢者施設で感染が一度起きると、一気にその中に広がります。施設間での職員のやりくりによってさらに感染が広がる悪循環です。どこかのサイトに総感染者数の5人に一人は医療従事者とありましたが、となると4000人強が感染してることになり、さすがにこれは何かを間違えてると思いますが。ともかく今でも毎日30名程度が亡くなっています。ひと頃よりも感染者数は減ってはいるそうですが、それでも一日300人近くの新規感染がモントリオールであり、相当厳しい状況。

彼女は大学に行けないので、ずっと自宅です。ならいっそ故郷のNovaScotiaに帰ったら、とは思って、それとなく聞いてみましたが、確かに故郷では感染率はずっと低いようです。ただ、モントリオールから出ることは許されていない、とのこと。どの程度厳しいのかわかりませんが、そんなことは考えていないようです。

他の州では封鎖も解除されつつあり、少しずつお店なども再開しているとのことです。だけどモントリオールはダメ、当面無理との話です。モントリオールはカナダ経済の中心で、Westmountには多くの金融関係者が住んでいます。カナダ全体への影響も相当深刻でしょう。これもあってでしょうが、25日からは小売店がオープンするそうです。だけど、どうも市中感染が広がっているそうで、大丈夫なのか。

2020年5月18日月曜日

スウェーデンの教会音楽家の話

COVID19がいろんな人生に影響を与えています。スウェーデンの教会の演奏家としての職を得て去年の暮れにご夫婦で移住したばかりの女性ピアニストの話がネットニュースに紹介されてたので、そのブログを拝見しました。今は削除されてしまいましたが。アクセスが殺到したのでしょう。炎上するような内容ではなく、申し訳ない。この方はもともと関西でジャズを弾いておられて、スウェーデンには音楽勉強に留学して、教会音楽家の募集に応募されたそうです。

異国で認められて職を得るのは、それ自体相当なことです。自国人に比べて外国人はなにかにつけて不利で、特に言葉の問題が一番大きい。そのハンディを上回るほどの素晴らしい音楽が素直に評価されたのでしょう。 教会のように長い伝統のあるところに、その壁を破られたのだから、かなり高い評価だったと思います。

彼女は関西ではプロのジャズピアニストでしたが、スウェーデンに留学されて、ピアノだけでなく、ハープシコードやパイプオルガンも演奏する機会を得たそうです。楽しかったでしょうね。ブログを見ると留学時は寮のようなところで、共同キッチン、共同洗濯室で大変だったようです。でも、自分の音楽の世界を広めてくれるので、生活の不便さはなんとか我慢できたのでしょう。

教会で演奏するパイプオルガンにはことに魅了されたのではないかと思います。 私も弾いてみたい。スウェーデンのキリスト教は多くはプロテスタントの福音ルーテル派で、音楽を重視します。バッハもこの宗派でした。信仰の大事な要素です。

職が決まり、昨年の暮れに夫婦で移住して、素敵なクリスマスを過ごし、さあ、これからというときに、新型コロナが来ました。教会での行事は普通に濃厚接触です。

すべての宗教では、信仰のためのいろんなしきたりがあります。しばしば、いろんなところでこれが問題を起こすことがあります。宗教者にとって、特に生まれたときから教会に通ってきた信者にとっては、これは3度の食事と同じくらい大事な意味あること。だけど、それが感染を広げるなら改めてもらわないと、命に関わります。

スウェーデンでは感染対策としてはごく緩い政策(50人以上の集りだけ禁止、お店はオープン)しか採っておらず、経済活動を最優先するためにいわゆる集団免疫を獲得することを国として進めていて、大勢の死者が出ています。教会での活動にもまったく規制がなく、日本のように3密を避けるようにという取り組みは行われていません。スウェーデンはそんな国だったの、と思います。このため、教会活動には何の制限も加えられていません。また、彼女の上司も、狭い場所でのミサや、その後のお茶会で手渡しでパンを食べるなどのしきたりについて配慮を求めても、困難なときこそミサを続けるべきと、まったく意に介さなかったそうです。

このため、困り果てた彼女は旦那さんとともにfacebookに提案書を書きました。リスクを指摘して、ミサをオンラインでやれないでしょうか、という内容でした。それをみた上司から、移民がそんなことを言う権利はない、と言われ、ひどくショックを受けた彼女は直ちに荷物をまとめて帰国しました。いつもは優しく理解ある人だったのでしょうが、おそらく自分の存在そのものを批判されたように感じて、パニックになったのでしょう。

こういう意見は、アフリカからの難民が押し寄せるようになったヨーロッパでよく聞かれるようになりました。あれだけ美しい文化を築いてきたのに、と外野としてはがっかりしたものです。とはいえ、それですまされない情況も理解できます。ともかく、音楽家として教会に職を得るほどの女性にそんな言葉があびせられるとは、やはりそこまで追い詰められてるのです。

彼女のチャレンジは素晴らしく、どうもクリスチャンでもなさそうなのに音楽家として受け入れた教会もスウェーデンという社会の懐の深さを感じさせます。ただ、そういうきれい事ではすまない部分は、海外に長くいたり、研究者としてしのぎを削ってると、必ず直面します。こういうことは起きるものです。粘り強く、何度もぶつかっていくしかないのでしょう。だけど、どういっても、これはとても悲しい話。

2020年5月13日水曜日

オランダの大学は来年1月まで閉鎖

現在、ラボに来てるオランダ人の留学生たちの話によると、先週末に彼らの大学から連絡があり、現在の大学閉鎖を来年の1月まで継続する、ということになったそうです。January というのが信じられず、何か聞き間違ったかと何度も聞き直してしまいました。日本では急速に新規感染者数が減り、明日にも自粛要請が解除されようかというところですが、オランダでは、感染は年内は終息しない、と判断したようです。

オランダでも新規感染者数は急速に減っていて、昨日で245名、先週の日本くらいにはなっています。ただ人口は日本のちょうど1/10くらいなので、人口比でいくと10倍多いことになります。とくに死者数が多く、この1週間でも、大体60-80名くらいの方が亡くなられています。急速に減ってはいますが。

彼らの話によると、オランダの南部でフランス、イタリアから来た観光客から感染が広まっていて、南部が特にひどい情況だそう。彼らの北部ではそれほどでもないとはいってましたが、それでも年明けまで閉鎖です。そういえば、一旦感染が収まった中国でも東北の吉林省吉林市では新規感染が6名確認され、部分的とはいえ、再びロックダウンされることになりました。この部分的なロックダウンというのは、中国の場合、今の東京のような自粛ベースよりは厳しいものと思います。

日本で新規感染者がこのまま減っていっても、どこかの国で感染が続いている限りは流入を防ぐことはできないでしょう。現在の入国規制を継続すると、とくに中国からのinboundをあてにしている観光業界では、死活問題になります。しかし、そうはいっても、死ぬよりはましで、新たな生き残り策を社会として模索していく必要がありそうです。