2020年5月24日日曜日

Murder Most Foul

4月に発表されたBob Dylanの新曲、Murder Most Foul 。17分にも及ぶ、何の盛り上がりもない、メロディらしいものもない、こんなフラットな曲がビルボードの1位になりました。これをどう書けばいいのか、長く考えてました。

ジャニス・ジョップリンもジミヘンもいなくなり、top of the worldがちまたに流れるつまらん時代に青春を過ごした人間としては、そんな時を生き延びてきた彼の音楽は、ほとんど唯一の輝きでした。71年のバングラデッシュのコンサートの時に、それが輸入されたとき、それを中州の映画館で友達と見たときが、最高にしびれた瞬間でした。あれほど憧れた音楽もなかった。

最初に買ったレコードは、ワイト島でザ・バンドとののライブのミニアルバム、その、あとから随分酷評されているLike a rolling stoneが、最初に聞いた音楽でした。ポータブルプレーヤーで、ステレオですらありません。

だけど、夕食の前に、応接室でレコードを取りだして、針が降りて最初の音、観客のざわめき、ベースとギター、オルガンがパラパラと出てきて彼の歌につながったときの感動は忘れません。当時は、誰もがこれを好きだろうと思って友達に貸したりしてましたが、変な顔されただけ、中学1年がこんなのを聞くのかと今では思います。えらくませたがきでした。以来、お小遣いを貯めては1枚1枚とアルバムを買いました。中学校時代、学校は嫌いで帰ってきたら、いつも2階の親父の部屋のステレオで1枚ずつ聞いてました。

リアルタイムで新作アルバムを聞く機会は長く来ませんでした。そもそも、その頃、彼の曲がラジオで流れることなんてほぼなかったし。その頃、ラジオ(AMです)でdesolation lawという彼の長い曲が拓郎の深夜10:45からの15分の番組(何という名前だったか)でかかり感激しましたが、これがこの曲の日本でのただ一度きりのオンエアだったのは確実。

高校になってようやく新アルバム「血の轍」が出て、ほんとに楽しみにしてましたが、随分がっかりしました。以来、いくつもアルバムを再び出すようになりましたが、二度とバングラデッシュのときのようなまぶしさは感じなくなりました。だから、ボストンに住んでた頃、ボストン大学に彼がやってきたときも、ちっとも行こうと気になりませんでした。意地でも聞かないようにしてたのかな。

なので71年よりも前の彼の曲ならどれでもよく知ってます。歌詞カードの中川五郎の訳は神でした。それもよくわからなくて、英語の先生に聞きに行ったくらい。困ってましたが。

彼の詩は謎です。どうとらえればいいのか、何を表現してるのかもよくわからず、ただ、妙にそのイメージはずっと焼き付いてました。Fourth time aroundというBlonde on BlondeのB面にある曲はその中の最たる例。この題名からしてわからなかった。これは物語なのです、それはわかるのだけど、一体、それがなんなのか、中学生には無理。

今回、調べてみると、wikiなどにこの曲はあり詳しい説明があります。ビートルズのノルウェーの森に触発された、いわば反歌のようなものであるとのこと。ご本人がジョージ・ハリスンに云ったくらいだからそうなのでしょう。

そんなことはちっともしらず、唯々謎で、だからなのでしょうが、いつもそんな曲が頭の中で響いてました。たしかに、そういえばノルウェーの森にメロディも形が似てますし、印象も似てる。

その前のアルバムのLove minus zero / no limitは、とくに憧れでした。このとても神秘的な曲は、その抽象性のためにかえってよみやすく、イメージが明解でとても残ります。アルバムHighway61の中のもよかったけど、Royal Albert Hallでのperformance(海賊版として出回ってました)は、神がかってました。

The bridge at midnight trembles
The country doctor rambles
Bankers' nieces seek perfection
Expecting all the gifts that wise men bring

The wind howls like a hammer
The night blows cold and rainy
 My love she's like some raven
At my window with a broken wing

見事な四行詩。最後の行、とくにbroken wingは有名です。

何と長いイントロなんだ、Murder Most Foulを説明しようとしてまだ終わりません。

だけど、彼はずっと活動を続け、時々びっくりするような曲を発表してきました。これだけ長くツアーを続けてきたミュージシャンは他にいないのでは。それは、彼が表現したいことがものすごく沢山あるから。昔からそうですが、彼の歌はほとんど詩に重きを置くようになり、歌と云うよりはつぶやきか、伝道師のようになってきています。ただでさえわかりにくい発音で、また書かれてもむずかしいくらいなのでライブで聞いても少しもわかりません。ただ、そのlyricsを読みながらなら、なるほどと来るのはありました。

今、欧米でも自粛に耐えきれず徐々に街はオープンしてきています。だけど、米国でも、昨日一日で1305名もの方がなくなっています。これは20日前とほとんど同じ数字です。ベトナム戦争の時でも、ここまでの死者が出ることはありませんでした。

さすがに新曲のリリースは8年もなかったのですが、こんな中にこの、かつてないほど長い曲がリリースされ、ビルボードを駆け上がりました。この曲、私の英語力と文化の理解ではとても歯が立たず、なんと中川五郎さんがすぐに訳詩を公表してくれました。注釈もつけて。これだけでも感激。彼の気持ちを感じます。これはJFKの暗殺からはじまります。中川五郎訳から借ります。


「アメリカ大統領専用機がゲートの向こうからやって来た
2時38分にジョンソンが宣誓して就任した
タオルを投げ入れて負けを認める覚悟があなたにできたら教えておくれ
すべては見てのとおり、そして卑劣なことこの上ない殺人なんだ

何かいいことないか子猫チャン? わたしは何て言ったのかな?

国家の魂が引き裂かれたとわたしは言ったんだ
そして腐敗と衰退へとゆっくりと向かい始めたと

そして最後の審判の日から36時間が過ぎてしまったと
ウルフマン・ジャック、彼は恍惚としてわけのわからないことを口走っている
声を限りにいつまでも喋り続けている」


言葉も、こうして書くと一文一文はわかりやすくなってきました。この部分は曲の中頃にあり、ここでまとめられてます。この曲では、こういう世界を表そうとして、ビートルズの懐かしい光景が一瞬現れたりするうちに、ウルフマン・ジャックが出てきて次第に深いところに入ってきます。


「顔を黒く塗った歌い手、顔を白く塗った道化師
日が沈んでからは顔を出さない方がいいよ
赤線地帯ではおまわりが巡回している
エルム・ストリートの悪夢の中で暮らしている
ディープ・エラムに行くのなら、持ち金は靴の中に隠すんだ

国が自分に何をしてくれるかなんて聞くもんじゃない」


ディープ・エラムというのはエルム街にもつながるダラスの繁華街だそうです。輻輳するイメージがいくつも出てきます。注釈無しには異文化の人間にはわからない。彼の曲は社会への批判なのか違うのかはっきりしろ、こんな話は昔からありましたが、そんなのとは無関係に、この詩は妙に今の社会に響くものがあります。

「三人の浮浪者たちがやって来るよ、みんなボロボロの服を着ている
後始末をして、旗を降ろして降伏して
わたしはウッドストックに行くところ、アクエリアス(水瓶座)の時代なんだ
それからわたしはオルタモントまで足を延ばして、ステージのすぐ近くに座り込むんだ
窓から顔を出して、いい時代よこのままいつまでも」


読めば読むほどわからなくなるのが彼の詩です。一体、これはなんなのか、気がついたら何度も読み返して、聴いてます。彼の優れた曲はいつもそう。ところで、ネットを調べたところ、彼の曲がビルボード1位になったのははじめて、とのこと!なんと、Like a rolling stoneは2位だったのか。Highway61のライナーノーツに1位と書いてあったので、ずっと信じてました。あれは、中村とうようさんではなかったか。彼は、好きなことを十分やったとつぶやいて自殺してしまいました。

救いを求める、逃げ場のない今のアメリカの社会。胸が痛くなるほど。おそらく以前に録音されてお蔵入りになってたものなのでしょう。一ファンとしてはうれしいですが、いろんな意味で、これは本来そんな曲じゃない。それが1位になるほど、新型コロナに翻弄されつくされているアメリカの苦しみの深さを感じます。